第4話 汐里の想い

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第4話 汐里の想い

 その銃声に思わず身を低くした二人であったが、 「あの明かりの点いた家は間違いなく翔太の家だ!」 「ということは……」 「狙撃されたんだ!」 「お父さん!」 「お父さん?」  信之介の存在も無視して飛鳥は思わずそう叫んでいた。 「私、家に帰ります!」 「家に?」 「落ち着いたらまた戻ってきますから……」  そして膨らましたゴムボートに乗ると、折れんばかりに(かい)を漕ぎ出した飛鳥。  するとすぐだった。  向こうに見える白浜の辺りに水柱が上がったと思ったら、海を二つに切り裂かんばかりに猛スピードで移動する存在が、真っすぐこちら側にやってくるのが見える。  引き返すしかない飛鳥。  かろうじて先に上がることができた飛鳥であったが、とてもこの世のものとは思えない巨体も飛鳥の後を追うように上陸し、二人の前に歩み出た。  初めて近くで見た巨体がこう言う。 『聞こえてたんだよ。私の子供達はどこにでも潜んでいて、なんでも教えてくれるんだ。おまえ、汐里だな?』 「――そうよ。小さい頃はアヤって呼ばれていたけど、私が汐里よ! 久しぶりじゃないか。あんた、初音(はつね)だね⁉」 『初音? 初めて聞いた名前だね。誰のことを言ってるんだい?』  完全に固まってしまって動くに動けない信之介に汐里がこう言った。 「信之介君。この目の前にいる化け物が優香の正体なのよ!」 『黙れ!』 「この女は全部知っていたのよ。蛾をまき散らしたのもこの女なら、怪物の乗組員に信之介君の存在や、信之介君がしていることを言ったのもきっとこの女の仕業なの。だってこの女は、少なくとも私が来てから一晩中隣の島にいるんだから、曜日は関係なしに、あいつが海の上に姿を現したら気付くに決まってるじゃない! なのに見たことがないなんてありえないわ! いや、おそらくずっと前から隣の島にいたに違いないの!」 『ええい、黙れ黙れ!』 「だって信之介君、『誰かが住み始めてテントを張ったっていうことには気付いていた』って、最初に会ったときにこの女が言ってたんでしょう? ということは、信之介君がこの島に住み始める前からいたっていうことじゃない」 「えっ! あれは単なる言葉のあやじゃなかったのか⁉」 『そうだよ。だから、こんな女の言うことを信用しちゃ駄目なんだよ!』 「ほおらごらんよ。今言ったことこそが、この化け物が優香だっていう証拠じゃない」  今にも飛びかからんとするかのような巨体だ。「それでも知らん顔を決め込んでいたっていうことこそが、何かを企んでいたという証拠なの。おそらく、この女は自分の定めを恨んで、全ての人に災いをもたらすことで定めを与えたものに仕返しをしているつもりなのよ!」  カダが殺されたこと。大量の蛾の発生。自分の存在と今までに起こったこと。優香との出会い。更に海底に潜んでいる化け物の存在が、信之介の中で一つの線となる。 「うっそぅぅぅ~」  ヘナヘナと、力なくその場にしゃがみ込んでしまった信之介。 『アヤ。おまえ、何を証拠にそんなことを言っているんだ⁉』  その言葉を待っていたかのように、 「証拠? さっき言ったばかりじゃないか! おまえは初音だって! それに信之介君! この女こそが、あの物語の中で大勢の娘たちを井戸の中に葬った者なのよ!」  と、飛鳥ことアヤが声を上げたとき、 「違う。あれをやったのはお嬢さんじゃない!」  初めて聞くその声に振り返ってみれば、ふんどし一丁の男が海水を垂らしながら立っている。 『その声は与助! どうしておまえがここにいるんだい?』 「お嬢さんのことが心配で、底なしの谷に飛び込んだんです!」 「ほおら、やっぱりおまえは初音じゃないか!」 『うるさい! あの本に書いてあったんだ。おまえは借金のカタに私のとこに売り飛ばされた身なんだよ。偉そうに言うもんじゃないよ! お父さんがおまえのところに金を貸してあげたおかげで、おまえたち一家は生き延びることができたんだ。もちろん返すっていう約束で。返さなかったら約束通りおまえをもらうのが当たり前じゃないか! おまえが私に文句を言えた立場か? 礼を言うのが常識っていうもんだろう? しかしひどい親もいるもんだ。おまえ、知っていたのか?』 「ひどい親って……」  そんな初音の強い言葉にちょっとだけひるんでしまったアヤであるが、「私には二人の妹と三人の弟がいるんだ。お姉さんもそうだったし、次は私の番だって心の準備だけはしてたんだ」 「そうなのかい。つまりは間引かれたってことじゃないか。それでそのお姉さんはどこにいるんだい?」 「いないっていうことは……」 『井戸の中に突き落とされたっていうことなんだ!』 「そんなことを平気で言うぐらいだから、あんたも化け物にされたんだ。あんただったらとうに家を出ていたと思うけど、私はあんたとは違うんだ。例えおとぎ話の世界であっても、いや、おとぎ話の世界であるからこそまだまだ続きがあって、その分希望が持てるんだ。きっとお父さんもお母さんも悩んだ末に、私を庄屋さんのとこに行かせたんだよ。私は別にお父さんとお母さんを恨んでなんかいない。そんなことだってあるんだ。お嬢さん育ちのあんたには分からないことだろうけど、生きるっていうことはそれだけで大変なことなんだ。そりゃあ嫌だったけど、私はわずかな希望にかけてみたんだ!」 『へえー、おまえ知っていたのかい……』 「おまえと私を一緒にするんじゃないよ!」  とてもこの世のものとは思えない初音の顔が、少し陰ったように見える。 『アヤ。おまえ、私をこんな姿にした奴の正体を知っているのかい?』 「相変わらずバカだね、おまえは」 『なんだって!』 「あの本を読んだんじゃなかったのかい? さっきおまえは私の親のことを『ひどい親』って言ったけど、おまえのお父さんだって散々なことをしてきてるんだ。人の親のことが言えたものなのかい⁉ おまえはそのお父さんを井戸の中に葬ったんだよ! 全く関係ないことが原因で! 忘れたのかい⁉」   『けっ!』 「――そして又吉さんと二人で逃げ出したまでは良かったんだけど、おまえだけが【底なしの谷】に落ちてしまって、その後で又吉さんは処刑されている。つまり庄屋がいなくなったんだよ。おまえ、自分のお父さんが影に操られていたっていうことは知らなかったのかい?」 『影? そんなことなんか知るもんか!』 「だからバカだって言ってるんだ!」   『黙れ、ゴミと同じようなぶんざいのくせに! じゃあ、お父さんに替わって新しく庄屋になったやつも、そいつに操られるがままに私にこんなことをしたっていうのかい?』 「知ってるんじゃないか、私たちが【たぶんおとぎ話】の続きを演じさせられてるってことを!」 『そうでなかったら、私がこんなに醜い姿に変わるわけないじゃないか! ゴミのくせに生意気なことを言うもんじゃないよ!』 「おまえだけは化け物になっても変わらないね。ついでに教えといてやるよ。何も書いてないのが二冊あったじゃないか。あれは今のことを書いているから見えないだけで、もっともっと時間が経ったら必ず見えるに決まってるんだ。つまり、本当はあそこに書いてあることが、私とおまえがこの世界に来てから起こった出来事なんだよ。そこにこそ、きっと私の希望を叶えてくれることが書いてあるはずなんだ! 分かるかい? 今辿ってるこの道だけが、私の人生じゃないってことが⁉ バーカ!」 『うるさい!』 「――おそらく、又吉さんは優しい人だから、影も寄りつけなかったと思うんだけど……」 『ということは、あの本に書いてあった通り、孫次郎なのかい?』 「さあ、それはどうだか……。あれから先は書いてなかったんだから想像するしかないんだ。それはそれとして、あんた、一回目の蛾の騒動をやったのは誰か分かっているね?」 『誰って、まさか……』 「そうだよ。あんたが思っている通り、たぶん、いなくなったあんたのお姉さんの詩子(うたこ)だ!」 『突然いなくなったのは覚えているけど、どうしてこんなところに現れたんだい?』 「何言ってんだい! 私は隣町の庄屋の慶之助さんから聞いていたんだ。ずいぶん仲が良かったんだってね。あんたに負けず劣らず気性が激しいお姉さんでさ。【底なしの谷】に落としたっていうじゃないか。どうせ又吉さんのことなんだろう? ちゃんと聞いてるんだよ。頼んだのはあんたで、頼まれたのはシンだっていうことも。そして、あんたのお父さんが大事にしている壺を勝手に持って帰って売り払ったために、ひどい目にあったっていう話だけど、本当はそのお礼として、あんたが渡したっていうじゃないか! シンは庄屋を恨んでいたって書いてあったけど、本当に恨んでいたのはあんたじゃないのかい?」 『じゃあ、あの本はシンが……』 「だから言ってるだろう、想像するしかないって……。自分で考えな!」   少し考えているような素振りを見せる優香であったが、 『お姉さんはどこに行ったんだい?』 「人並みのことを聞くんじゃないよ! そんなに知りたかったらあの世に逝って探しな! 化け物め!」  そんなことまで言われても、顔の表情さえ変えられない今の自分が情けなくもあり、またつらくもある優香だ。 「――お嬢様、なんでしたらこの女も井戸の中に放り込みましょうか?」 『井戸……。ところで与助、おまえの家族ならとうに開放されていたんだよ!』 「知っています。知っていますけど、そんな姿に変わられたお嬢さんの身が心配で……」  そんな夜に包まれて、ゆっくりと歩き出した女であったが、 『与助!』  その叫び声が何を意味しているか与助には十分理解できた。 「初音お嬢さん!」  少し後ずさりした二人の前を、のっしのっしと女が通り過ぎる。 『アヤ、この本は全部私がもらったよ。おおっと、この前持ったときよりずいぶんと重たいじゃないか!』 「また増えてるんだよ! 重たい……? その本は、私が翔ちゃんに貸してあげた本なんだ。返さなくっちゃ!」 『そんなこと私が知るもんか!』 「返しておくれよ!」 『うるさい! おい、アヤ。おまえはさっきあんなことを言ってたけど、本当のところ、その影っていうのはおまえのことじゃないのか? おまえが好きなように抱かせて、そういうふうにさせていたんじゃないのかい? そうはさせないよ! やっとこの苦しみから逃れられるときがきたんだ。見てみなよ、体が自由に動くじゃないか……』 「なんのことなんだい?」 『おまえ……』 「初音。あんた、とんでもない勘違いをしてるんじゃないのかい? それはあんたのひん曲がった人生観が創り出した妄想だ。私が何をしたっていうんだい? 何か言っているやつがいるんだったらここに連れてきな! いいかい。私たちの定めは誰かによって決められていて、今更変えようがないんだ! 恨むんならそいつを恨みな!」 『だからそれを聞いてるんだよ! 一体誰なんだい? あっ!』  もしかしてと思い、立ったまましばし考え込んでいる女の体から、羽音を立てて子供たちが飛び立っていく。 「初音お嬢さん。わしも連れていってくださいませ!」 『与助! この本の続きを書かされているやつが必ずいるはずなんだ……』  二人が向かったのは、男が掘った洞窟の方向であった。  すでに水が完全に引いてしまっていることは確認していたのだが、当然入口は分かるものの、その先の出口辺りがどうなっているのかは全く分からない。 『急ぐんだよ、与助!』  初音には、穴の向こうからこちら側に飛び出してくる虫たちの叫び声と、間もなく大量発生する、体に寄生した無数の子供たちの会話する声が聞こえている。 「初音お嬢さん!」 『アヤ、覚えておけよ! 私は、私を呼ぶ子供達の声に応えて、おまえの家族のいる穴の向こうに戻る。この姿のままでな! 今の私にはなんだってひねりつぶせるんだ! これで何もかもが無くなって、後腐れなく、おまえもやっとゆっくり寝れる日がくるっていうもんだ! おまえのために戻るって言ってるんだよ!』 「やめて!」  そう叫んだアヤに初音がこう答えた。 『――なんでも始まりがあれば終わりがあるもんなんだ。その終わり方は私が決める! 次はあんたの番だよ! アヤ! いいかい。私と与助の姿が見えなくなったら、この穴を塞ぐんだよ! 分かったね!』 「初音……」  アヤはそんな二人から目を離して、夜空に輝く月に祈りを捧げているかのようだ。  その巨体を無理やり穴の中にこじ入れる初音の、 『シン! シン! よくも私をこんな目に遭わせたな!』  キョトンとするアヤの耳にそんな大声が飛び込んでくる。後ろから与助が押しているのだが、中の様子まではうかがえない。次いで、『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ――!』  その影は神なのか、悪魔なのか? 源左衛門に替わって何も知らず指図されるがままに、穴の向こうの屋敷で書き物の続きをしていた孫次郎と、獲物を肩に担いで家に向かうシン。そして、唖然としている神前島の二人がその叫び声に同時に息を呑む。  さっきまで、月明かりにその全容を現していた巨大な物体は、謎と災いだけを残して姿を消してしまっている。  すでに汐里は終わりを悟っていた。 「信之介君、嘘を言ってごめんなさい。私が汐里なの。柳翔太君のところで世話になっている、陽向(ひなた)汐里なの!」 「どうして嘘をつく必要があったんだ?」  信之介の声は涙声に変わっている。 「この島に上がる前から、優香と名乗るあの女の正体に疑問を持っていたからなの……。とにかく私、病院に行ってきます!」  そう言うと、汐里は再びゴムボートに乗り込んで、村を目指した。  ――運ばれてきたのが我が父親、茂であるということを知ったのはその直後であった。  集中治療室では懸命な蘇生が行われている。中に入ることはできないものの、その分込み上げてくる涙が止まらない。 「おやじ……」  突っ伏するしかない翔太。  汐里の漕ぐボートは、もうすぐ浦吉の白浜に着こうとしていた。
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