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第32話 幸せな涙のお裾分け
これは……胸が、胸がギュッと締めつけられて痛い!
呼吸も辛いし、目眩もして来た!
医者に、医者にかからねば……。
「そ、そうですか、失礼しました。そ、それではこれで。俺は医者へかかりに――」
「――学園で、だけなんですか?」
「……え?」
照れ臭そうに微笑むその顔は少なくとも、おっちゃんからの申し出を嫌がっている表情には見えない。
いや……。
女性は演技家だとも聞く。
表面では愛想良くしてくれているが、内心では嫌がっているのか?
わ、分からん!
女心を知るとは、この世で最も難しい学だ!
「意地悪を言って、ごめんなさい。私は――学園だけじゃなく、常にルーカスさんとお友達でありたいです。だから……約束の内容を、訂正しても良いですか?」
「あ、ああ。成る程……成る程ぉおおお!」
よ、良かったぁあああ!
嫌われていなかった!
このイタズラをした子供が浮かべるような笑みは、演技じゃない!
本心からの笑みだ!
そう知れば、意地悪をされた事さえ――心から嬉しくなってしまうじゃないか!
「も、勿論です!」
「ルーカスくん。私とは?」
「え、エレナさんも……。中身がおっちゃんな俺と……お友達になってくれると?」
「当然。あと、こんなに初々しく溌剌としてて快活なおっちゃんはいない」
いや、ここに居るんですが?
探せば普通に居ると思うのですが?
ルーカス・フォン・フリーデンには悪いが……。
記憶は受け継いで居ようと――俺は間違いなく、日本で40年近くを生きた、おっちゃんだ。
そこに15年を生きたルーカスの人生経験が足されている。
紛れもない事実として、俺はおっちゃんだ。
しかし――嬉しいな。
「エレナさんやテレジア殿のような、仁に厚く己の義を通す方々と――お友達になれるとは。光栄です。2人は俺にとっての聖女であり、互いに支え合い高め合う友ですね! はははっ!」
大口を開けて笑い出した俺を見て――2人も笑みを浮かべた。
乏しくともそれと分かる、エレナさんの朗らかな表情。
そして――銀色の花弁が綻ぶようなテレジア殿の表情。
やはり若者が笑う光景というのは何よりも美しく、未来を感じさせる素晴らしいものだね。
「こんな……。呼ばれて嬉しい聖女も、あるんですね」
そう呟くテレジア殿の瞳には――涙が浮かんでいた。
自分の視界がぼやけている事に戸惑っているのか、テレジア殿は涙を拭おうとするも――手綱を放すのは怖いのか、あたふたとしている。
馬に乗るのは慣れていないようだし、実際危ないだろう。
だが女性の涙を拭うには――俺の手は血に汚れすぎている。
なるべくなら綺麗に整えたい衣服で拭うにも、今は戦で土埃に汚れている。
だから、テレジア殿の涙を拭う代わりに――。
「――はははっ! 笑い泣きは、最も幸せな涙かもしれませんね? いやぁ、俺も嬉しくて笑い泣きしてしまいそうですよ! 普段は涙など情けなくて、決して見せないんですがね? しかし、これは見せて良い幸せのお裾分け。そう呼べる涙だとは思いませんか?」
「ぁ……」
「……ルーカスくん。私もそう思う。幸せのお裾分けをして一緒に嬉しくて泣けるのは、嬉しくて楽しいね」
うん。
そう言うエレナさんの目尻には、全く涙が浮いてないけどね?
俯瞰して物事を見られて、頼もしい方だ。
それに――心配りが嬉しい。
テレジア殿も安心して泣いて良いと分かったのか。
瞬く間に涙を溢れさせ――頬を雫が伝い、落ちていく。
そうして暫く、幸せの涙を流した後に――。
「――ルーカスさん。もう1つの約束……お父様と会うのも忘れないでさいね?」
「父……件の枢機卿猊下ですか。ええ、楽しみにしておきましょう! お話が確かなら、美味い酒が飲めそうです!」
「確かに初陣を終えたから、法律で飲酒が許されるようになった。でも、お酒を飲むことに興奮するのは気が早い」
「お父様も、お酒が好きですからね。やっぱり、絶対に気が合うと思います」
楽しく笑いながら、友と轡を並べる。
これも――良い物だ。
しかし、友人の父か。
思えば……異性である友人の父に紹介されるなんて、初めての経験ではないか?
俺が父親ならば、本当に健全な友達かと穿った目で見て、思わずキツく当たりそうだ。
とは言え――精神年齢的には、テレジア殿の父の方が俺と近いだろう。
この世界の権力者には余り良いイメージがないが……。
テレジア殿を育てられた父だ。
良い酒が飲めるのを期待していよう――。
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