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第1話
「我ら緋ノ国の民が抱く、大御神への信愛は揺らがない」
少年は土煙を巻き上げながら敵陣に向け一直線に駆ける勇ましい騎馬武者達の背を見ながらぬるりとした土の臭いが混じる空気を忙しなく肺に届けて、呟いた。
「――……だが、大御神はもう、我らが祖国を愛していないのかもしれない」
少年がほんの一瞬、瞬きをした次の瞬間だ。
前方より顔にへばりついた血塗れの泥と、鼻をつく何かが焦げたような臭気が風に乗ってきて、思わず手に汗滲ませながら口から漏れ出てきた弱音である。
恐怖と絶望を与える大元は、鼓膜を破るかと思う痛みを与える炸裂音に耐えた次の瞬間には緋ノ国の大地と民を破壊して、少年に力の差を見せつける。
岩礁にぶつかった浪の花が弾けて海へ舞い戻るように、大地から騎馬武者達が弾け飛んでいく。
大御神の御許へ魂が舞っていく。
「銃火器とは、こうも恐ろしい兵器なのか……。――それでも、俺は引けない。帝国の侵略から護らねばならないものが、宮都にはある！」
少年は、屈強な武士達が晒す無惨な光景に目を見開きつつ、気を奮い立たせる。
左手で刀が収まる鞘をーー相棒を握る。震える手でも、確かに硬い反動が感じられた。
同胞の亡骸の上をぐにゃりと踏み越え、彷徨う馬の足に身を寄せ隠れながら、少年は唇を噛みつつ言葉を紡ぐ。
惨憺たる有様の戦場においてもなお、少年は最前線を目指し続ける。時折、馬の腹下から顔を覗かせ前へ向かう期を伺う。
この時ばかりは、鎧も与えられない己の低い身分に感謝した。身軽に動けるのは、大きな利点だ。
眼前に一人の敵兵を捕らえた。
軍服を見に纏い、眉間に皺を寄せた険しい表情をさせながら小銃を握り締め、挙動不審なほど周囲を見回している。
少年はすっと息を呑んで身を屈めーー馬の腹下から一息に飛び出でる。
脚に「臆するな」と命令し、小銃を手に周囲を見回す相手へ向け大地を強く蹴り出でる。
腹左腰に帯びた愛刀――脇差しの柄巻に汗でベタつく手をからませながら、即座に抜刀可能な姿勢で、おうとつの激しい地を踏み鳴らし進む。激しい滝の音を聴くように轟々と風を切っている感覚を少年の耳が伝える。
軍服を着た兵士は一瞬、突如聞こえて寄ってくる足音に驚き身を固めたが、相手の小さな体躯を目にした瞬間口元を歪め銃床を肩に構えた。
まだ距離は歩数にして二十歩以上離れている。照準を定める余裕があった。
「はっ、死に損ないのガキかよッ！ しっかり殺してやるぜ、銃もない時代遅れの野蛮人がッ！」
時代遅れの刃物の武器しか持たずに駆けてくる少年を見て嘲笑うように吐き捨てた。
少年は震える手脚に今一度、力を込めた。
刀が届く距離まで、残り十五歩まで迫る。
バクバク血液を送り出す心臓に怒気を含ませ、運ばれた血潮よって紅く染まる目が釣り上がる。
緊張で浅い呼吸しかしてくれない体に逆らい、大きく息を吸い込み――雄叫びをあげた。
「俺は死なん！ ガキでも、仕える主を持つ武士だ！ 剣に誇りを持つ者として、貴様を討つ！」
二人が対峙する距離は、残り十歩を切った。
「はっ！ その距離で剣に何が――」
「日輪神刀流――閃光！」
抜刀した瞬間、刀は光となり空間を裂いていく。十歩程あった距離など、まるで無かったかかのように閃光が走る。
「はっ――……ぇ？」
次の瞬間、銃を持った一人の兵の首が落ちた。
「クソっ！ 仲間をやりやがったな、統制射撃用意！」
「なん……だと。こんな量の兵が、隠れていただと!?」
多大な集中力を要する絶技を放って蹲る少年へ、十名近い兵が銃口を構えた。
「――未成熟な俺が魂刀も無しに大御神の奇跡を体現する技を使えば、しばし動けなくなる事など、解っていた……。この数に囲まれては……俺も、ここまでか。是非もなし。――父上……今、いきます」
「総員、う――」
一陣の風が、少年の頬を撫でて過ぎゆく――。
「――未来多き我が弟子、輝政を殺されてはたまらん。日輪の加護の元、滅びるがいい。――日輪神道流、揺光」
――風は敵陣の中央で止まり、鎧武者となった。かと思えば、刀を天に突き上げた瞬間――淡く揺れる光となる。
「――なっ!?」
少年――輝政を囲む兵の周りを光が包み込み――次の瞬間、兵達は切り伏せられ遺骸を地に晒していた。
揺れる光が収まると、紅を基調とする鎧を着込んだ厳かな雰囲気の男性が現れる。
輝政は、ポタポタと刀から血を大地へ滴り落とし、鷹のように鋭い目をしたその鎧武者を、よく知っていた。
「師匠……ッ。これが、師匠と魂刀の神力……？」
血塗れの刀をガチガチ振るわせながらも、輝政は尋ねるが――次の瞬間、紅い鎧武者は最前線へ向けて再び風となる。
風の行く末に目を凝らしみれば、あっという間に豆のように小さくなっていく赤い鎧武者が見えた。
それは風などではなく、輝政の師匠が大御神の奇跡を体現しながら疾走しているのだと理解した。
緋ノ国が誇る魂刀の刃が光を切れば、重戦車も二つに別たれ静寂に沈む。
刃が舞えば、機関銃の放つ弾雨が綿毛の如く相手を避ける。刃が大気を劈けば、大地と人が空高くまで爆砕する。
科学の粋を結集させた近代兵器が、不可解な『大御神の奇跡』とたった三名の武士に完全否定されている。
時代錯誤な武器の混じる戦場に数多の骸、理不尽の痕跡が刻一刻と増えていく。
「――臆するな、距離を保って撃ち続けろ！ 刃物などに近づくな、敵の数は少ない！」
「し、しかし中佐殿――あいつらは、化け物です！」
緋ノ国を侵略するウルカ帝国兵の指揮官は、尉官の言葉を受けて悔しげに顔を歪め唸る。
剣などという時代錯誤な武器しか持たぬ、たった三名の武士――超常の力を持つ狂戦士によって、大規模編成された侵攻軍が食い止められる理不尽さ。
そんな事実は、到底受け入れられない。
「鉛玉など、川の流れのようなもの。受け流すなど容易いことだ。――海神無念流、渦潮」
弾幕の如く飛ぶ銃弾。その全てを空間に作りだした水流で受け返す長髪の優男。
「死にくされや害虫共がぁッ！ 壌土山霊流の恐ろしさを、あの世で語り継げやッ！」
猛虎の如き猛々しさで雷撃を操り、次々と兵を大地ごと破壊しながら突進するひげ面の男。
そして太陽のように輝く刀で兵の視界を奪い、次の瞬間には神速で切り伏せる鋭い鷹の眼の様な男。
最前線にやってきた、たった三名の男だ。
たった三名の武士によって、銃火器を持つ四千人のウルカ帝国兵が足止めされている。
怪物じみた三名以外の武士は、概ね侵攻の問題にならない。
刀と銃火器の戦闘なのだ。なるべくして銃火器の前に肉片を散らしている。
だが――。
「何故だ！ 奴らには恐怖がないのか!? 目の前で仲間が殺されても士気が下がるどころか、虎のように突っ込んで来やがる！――これが緋ノ国の武士というやつらなのか!? 気違いの化け物どもめ！」
無論、怪物じみた三名とて無傷とはいかない。
銃火器や爆撃などのダメージは間違いなくあるはずだ。しかし、どれほど血を流そうと彼等は向かってくる。
更には、謎の胸飾りを触ると傷も体力も多少なり癒える、などという不可思議な現象が起きている。
これが伝説の『大御神の奇跡』かとウルカ兵は戦慄した。
戦いている間に超常現象を放つ刀によって命を絶たれる。
既に混乱で指揮系統も機能していない。
目の前で兵を失っていく指揮官は迷った。
奴らも人間ならば、いずれは体力が尽きるだろう。
――だが、本当に奴らは人間なのか。あんな規格外の存在どもを、常識で推し量ってよいのか。
「……クソッ。これでは砲兵隊が宮都へ近づけぬ。――一時撤退だッ！ 作戦基地まで戻るッ！」
結局、指揮官は一時撤退を選択した。
臨時作戦基地まで辿り着いた時、斬られた人数と退却の混乱で失った兵は数百にも及んだ。編成を組み直さねば成らぬほどの大失態であった。
何の規則性も無く無残な姿で戦場に散った数多の屍を避けながら、武士達は宮殿へ戻る。
血潮で染まった緋色の大地を一歩一歩踏み締めながら。
泥に塗れ半開きの瞼や口のまま無残に朽ち果てゆく、かつて人間だった肉塊。
斬られた所から零れ出る臓物、必死に抑えようとした形跡の残る手。
この兵士達は誰の為、何の為に生き、死んでいったのか。
いまや肉塊と成り果てた者を産んだ母は、無邪気な顔をした赤子が臨終の時、凄惨な姿に変貌すると考えていたのだろうか。
戦場に吹く風が鉄臭い血と、腐った生ごみのような臓物の臭いを運んでいく。
魂が国まで帰りたいと唸っているかのように、死臭を乗せた風が轟々と吹き荒れる。
国からどのように送り出されたかは知る術も無い。
だが、誰にも看取られる事無く散っていく末期の思いは、どんなものだったのだろうか。
どのような『義』を持って戦ったのか。
使用した銃の手入れで汚れたのだろう。
ウルカ帝国兵の手には煤が大量にこびり付いていた。それは緋ノ国国民を殺す武器を手入れした際に付着したものだろう。
だが、己の命を預ける武器を大切に手入れした証でもあった。生きて母国に帰れていれば、煤の汚れが落ちない手で愛する妻や子の頭を撫でられた筈だ。
それが、なぜ無残に力なく投げ出されなければならない。
ウルカ帝国人だろうと、『化け物』と怖れられる武士と同じ――人の心を持つ人間だ。
日輪神道流剣術の使い手は、勇敢に戦い散った兵士と残された家族を想いながら。
海神無念流剣術の使い手は、黄泉の国まで迷わず進める事を大御神に祈りながら。
壌土山霊流剣術の使い手は、何も護れぬ弱い虫螻を見るような視線を向けながら。
三名の武士――緋ノ国三大剣術流派の当主は宮殿に辿り着くまで、会話どころか視線を合わせる事もない。
隙あらば貴様も斬る。
そんな剣呑極まりない空気が、三名の間には流れていた――。
「俺は……あの方々に追いつけるのか？――いや、御国の危機だ。一秒でも早く追いつかねばならない……ッ！」
輝政も、そして従軍していた武士達も三名に続いて骸を乗り越えていく――。
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