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第3話
綺麗な身形をした女性が止めると、大人の隊士は頭を小さくさげ、不服そうに立ち去った。
「大人から罵詈雑言を浴びせられていると、輝政を近衛に迎えた日を思い出すな」
「あの神前奉納剣武祭の日か……。楓姫には本当に感謝している」
肩に掛からない程度の美しい白銀色の短髪がよく似合う緋ノ国第一皇女――楓姫と、近衛兵の九条輝政。
二人は幼い頃からの馴染みである。
輝政の脳裏に思い起こされるのは、出会いの日であり、壌土山霊流当主と木剣にて勝ち抜き戦で試合をした日の事だ。
思えば、もう三年も前になる――。
『ぐ……ッ』
十一歳の輝政は血だらけの身体で木剣を手に立ち上がる。
目の前に立つ魁偉は壌土山霊流を極めた黄杞家の当主。
幼子は強者と戦い、己の未熟を知り上を敬う心を学ぶ。――それが勝ち抜き戦である神前奉納剣武祭の不文律だった。
『いい加減に諦めろ』、『下級武士の子なのだ、分相応に生きろ』、『子供は大人の言うことに従え』。
血だらけでも諦めず立ち上がる幼子に対し、周囲の大人は冷ややかな目で罵声を向ける。
身分階級が低い上、大御神の神威も得られていない輝政だ。
そんな者が武士の最上位である黄杞の手を煩わせる事は、大変な不敬に値する行為だ。
少なくとも、大半の者がそう思い憤っていた。
ここに至る何戦かで、身分も年齢も上の武士を倒してしまったのも心象が悪かった。
高座からは当代緋神子やその子――神子達が見ている。
そして三種の神器の一つ、武を司ると言われる緋國御劔も彼等の死合いを見ている。
『俺は……負けない。負けたら、何も成せない! 母上も義妹も、護れない!――だぁああッ!』
『――弱えままじゃ、何も護れねぇぞガキ』
血に濡れた瞳に殺意を滲ませる幼子。
腫れて膨れ上がった手足の悲鳴も無視して、圧倒的強者に剣を振るうが――簡単に弾かれ、蹴り飛ばされる。
『が……っ』
それでも、輝政はまた立ち上がる。
そして、黄杞は再び待つ。何度も繰り返される光景だ。
嬲るような有様だが、黄杞の目は見下す視線を向けていない。
戦場に立つ武士の顔をしていた。
試合はどちらかが降参するか、気を失うまで行われる。
各流派の高弟か当主同士の戦い以外、敬う意味でも一本が入れば速やかに降参する。
その不文律を、輝政は破り続ける。
『礼儀も理解してない下級武士のが……』、『見苦しい。黄杞殿、いっそ殺処分してはいかがか!?』。
見物人の大人達は憤慨する。
だが、各流派の当主や輝政と同年代の子達は些か違った様相だ。
『月夜、よく見ておくんだよ。不文律にハマらない。あれが流水の如く柔軟で、立派な思考が成す姿だ』
『はい、父さん……』
『父上、輝政が……っ。輝政が、死んでしまいます! 止め……とめ……っ』
『悠、あれこそ輝政が望んだ姿だ。死に物狂いで修練してきた、己の大事な者を護る為の不屈の剣だ。――決して目を逸らすな。我らの同門として、友として結末を見届けよ』
当主とその子達は、いずれも輝政と同じ年齢だ。既に伝統に従い、敗退している。
その子達は凄惨な光景に怯えながらも、自分とは違って勇ある輝政の在り方に瞳をキラキラと輝かせながらも、心配の眼差しを向ける。
そんな眼差しをむけるのは、父である各当主が輝政の姿勢を歓迎している事も大きかった。
『軽すぎんだよ。もっと一撃に想いを載せてこい。――じゃねぇと、殺すぞ?』
黄杞の放つ圧倒的な殺気に、構えていた輝政も覚悟を決める。
次の一太刀で己は死ぬかもしれない。
それでも――もしこれが実戦なら、降参など地を舐め全ての権利を放棄する行為だ。
輝政は研鑽してきた日輪神道流剣術の構えを取る。
――すると、木剣に僅かな光が走った。
『――なんっ……』
『日輪神道流、瞬光ッ!!』
血に濡れ突き進む木剣は、光の如き速さで黄杞の腕を掠める。
日輪神道流では基礎の突き技だ。
――だが……。
『――大御神の神威が籠もった剣を……振るった? あのような幼子が、大御神に認められた、だと?』
途端に宮殿はざわめきに包まれる。
一生得られぬ者が大半の神威を、年端もいかぬ子が得た。
信じられない、認めれない大人からの妬みと、同世代の少年達からの憧憬の眼差し。
だが、流派の垣根を越え、輝政は武士を志す少年少女の憧れとなった。
己の腕から流れる血を舐めながら、黄杞は心底楽しそうに、嬉しそうに笑った。
『おもしれぇ。褒美に本当の神威を見せてやるぜ、九条輝政。――壌土山霊流、竜驤迅雷ッ!』
周囲を威圧し身動きも呼吸も許さない気当たり、そんな中を荒ぶる龍のように飛翔してくる山のような魁偉。
いくら魂刀による力を得られていないとは言え、三大流派当主の放つ神威は、観衆に輝政の死を確信させるには充分だった――。
『……危ねぇな、姫さん』
だが、ある一人の少女が気当たりを破って立ち塞がった。
それが、輝政の命を繋ぎ止めた。
『この試合はここまでだ。殺してはならん。――この男は、私の近衛兵とする』
高座で見物していた神子の一人、楓姫が輝政と黄杞の木剣の間に立ち言い放つ。
黄杞が振り下ろす木剣を止める為、片腕を血だらけにして刃を止めなければ、楓姫は重傷か――死んでいた。
『好きにしな。……ったく、いい男になりそうなガキだ。日輪神道流に置いとくのは惜しいぜ』
『……黄杞の。うちの弟子が世話になった。寸止めするつもりの剣でも、死を垣間見たのは良い経験となったはずだ』
『ち……。おい、龍御。憧れてばっかで離されてくんじゃねぇぞ』
『親父殿……』
黄杞家の次期当主も――周囲の少年少女と同様、輝政に憧れてしまっていた。
何度うちのめされようと立ち上がり、決して折れない。そして遂には大御神にまで認められた少年を――。
『輝政、しっかりしろ! 天に坐します我らが大御神よ。癒やしの奇跡を与えたまえ……っ。お前には、私と同じ夢を見てもらうのだ、死ぬなッ!』
涙ながらに神力で治療する娘を横目に、当代緋神子は――己の隣で輝政へ向けて神力を発した緋國御劔を見つめていた。
緋神子の顔は、神託を受けたかのように真剣な面持ちであった――。
「――輝政、どんな魂刀が誕生すると思う?」
輝政が過去に思いを馳せていると、隣に立つ楓姫が声をかけてきた。
楓姫の声で、やっと現在に意識が戻ってきた気がする。
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