第38話

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第38話

「俺は良心が痛みましたがね」 「何を言うか。旭は何も嘘を言っておらんだろうが」 「それでも、騙したような気分で良心の呵責(かしゃく)に苦しむんです」 「全く。折角自由に市中を(まわ)ることが叶ったというのに、辛気(しんき)くさい顔をするでない! いいから倭国を巡るぞ!」  後ろ髪引かれる思いで歩いている輝政の手を掴み、神子は走り出す。  巨躯で足も長い輝政の歩幅と、神子の歩幅は全然違う。  神子が眼を輝かせながら全力で走っても、輝政は軽くジョギングをするようなものだった。  神子は大きなお父さんを連れ、興奮して走る子供のようだ――。 「ふむ、民は普段このような家に住んでおるのだな。……風が入ってくる。これでは冬は……」 「人の家を勝手にじろじろ見るのは、良識がないかと思いますが?」 「何を言うか、声はかけた」  嘆息(たんそく)する輝政に対し、金銀財宝の詰まった宝箱を見つけたような笑みを浮かべる神子。  民は基本的に屋根には草を葺いた竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)に暮らしている。  宮殿勤めの高官の中には館を持つ者もいる。  そう言った人物の居館は、(ごう)と柵に囲まれた掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)だ。 「よし、次は民の仕事ぶりを見よう!」 「では、水田(すいでん)に参りましょうか。この時間なら作業をしている筈です」 「米か! よいな!」  住居が集まっている所から少し離れると、一面の田園風景(でんえんふうけい)が広がっている。  川からの水を引く為に、どうしても市街地から離れる必要があるのだ。  掘り井戸という文化はないようだし、そこから水田に水を回す技術もないのだろう。  道中小さな子供達がトンボを追い駆け回り、泥団子を投げ合って遊んでいた。  誰かが転べばその様子を指さして笑う。  それでも誰かが手を取って助け起こしまた駆け回る。  (いとけな)い子供が笑顔で駆け回る様子が微笑ましい。  気が付けば、輝政も神子も自然と笑みを浮かべていた。 「無邪気なのはいいな。このまま、穢れずに笑って育って欲しいものだ」 「ええ。……子供が泣く姿や、死ぬ姿は見たくありません」  輝政の脳裏に浮かぶ。  かつて歓楽街の裏路地で、ウルカ帝国兵に銃撃され死亡した二人の子供。  そして涙を流して怯えていた子供の姿がよみがえる。  途端に、輝政は涙が出るほど悔恨(かいこん)の念に襲われた。  自分が楓姫を護れていれば。  もっと言えば、あの時もっと早く止めに入る覚悟があれば、子供達の笑顔は失われずに済んだのかもしれないと。 「そう苦しそうな顔をするな、旭。辛いことがあれば、あの童達のように妾が手を繋いで助けおこしてやろう」 「神子様……人目があります」 「堅苦しい事を言うな。妾とて恥ずかしいのだ。旭も男なら察しろ」  頬を紅潮させている神子は、伏し目で地を見つめる。  畑の作物が育ちやすい、肥沃(ひよく)な黒ボク土の心地いい臭いが風に乗ってくる。  風に揺れる稲穂と艶やかな神子の髪との調和が風光明媚(ふうこうめいび)で、心までをも清らかに浄化し風に流していく。 「……民はこんなにも長時間肉体労働をしているというのに、粗末な家に住んでおるのだな」 「それが身分の差というものです。人が集う限り、階級と役割は必ず生まれます」 「そうだな……。何が幸せかなど、妾には解らん。日常化した贅沢が幸せとも限らん。――だが、皆が笑って手を取り合える国にしたいものだ。きっとそれは、万民の幸せとなるであろう」  二人が手を繋ぎながら農作業に勤しむ尊い民を見つめていると――横合いから泥団子が飛んできた。  輝政がひょいと避けた為、見事に神子の横顔に命中する。  神子は自分の手で顔を拭い状況を把握すると、輝政を睨む。 「旭……貴様、避けたな? お陰で妾の顔が泥塗(どろまみ)れではないか!」 「飛んできたのが矢ならば盾となりましたが、泥団子ぐらいなら子供の戯れかと」 「詭弁(きべん)を……! 待て(わらべ)共ッ! 逃げるなッ!」  笑いながら逃げる子供達を追う神子の顔は泥塗れだが――(まばゆ)い程の笑顔だった。  何はともあれ泥を落とさねばならぬと川にやってくると、洗濯をする者や行水をする人々がいた。  当然と言えば当然だが、みな裸だ。  老若男女問わず、裸で行水(ぎょうすい)をして身を清めている。  今から神子も……と想像すると、輝政は不思議な感覚に陥った。  自ずと下半身に血が(たぎ)る。 「――今何を想像していた、不埒者(ふらちもの)めっ!」 「いえ、何も? 早く汚い顔を洗ってきた方が良いかと思います」 「言うようになったではないかッ! お主に言われずとも行くわ!」  輝政の脛を蹴って、神子は川に向かい顔を洗う。  輝政も自分が(くだ)けて失礼な事を言った自覚はある。  故に、黙って蹴られた。そして輝政は考える。  自分がこれ程までに彼女に不躾(ぶしつけ)な態度を取ってしまうのは何故だろうかと。やはり神子の人なりと――楓姫にうり二つだからだろう。  川辺で顔の泥を落とす神子は、後ろからそろりと近寄った子供に川に突き落とされた。  お返しとばかりにその子供を川に引きずり込み、結局全身の汚れを落としている。  川から愉快そうに神子が戻ってくると、陽が傾きだしていた。  この時間になると、山で狩猟を終えた狩人が戻ってくる。  市中に行けば、彼等とも話が出来るだろう。  市中に行くと、やはり狩人達は戻ってきていた。  狩ってきた肉を裁き、米などの穀物と物々交換も行っている。  そんな中、輝政に気が付いた狩人が声をかけてきた。 「おお、旭様! 見廻りお疲れ様です。見てくだされ、大猟です! 全て旭様が作ってくれた弓のお陰です! これで今年の冬は、燻製肉(くんせいにく)を毎日でも食べられそうですよ!」 「それは何よりです。空いた時間には、寒さを(しの)ぐ為の毛皮や(まき)も用意するといいでしょう」 「いやぁ、今年も無事に越冬(えっとう)できるか心配でしたが……全て、旭様のお陰です!」  狩人達やその肉を手に入れた民は、輝政に対して手を合わせ拝みだした。  民達が拝む様子を、神子は驚愕に眼を見開きながら見つめている。  彼女にとって、民が太陽の神や自分以外の者に手を合わせ感謝している姿を見るのは初めてだったのだ。  輝政は狩人達としばし会話をした後、ぽつねんと立っている神子と共に群衆(ぐんしゅう)から去った。  そしてまた狐面をした女性を入れることに渋い顔をした衛士をやり過ごしつつ、宮殿に入る。  神子は元の女官朝服に着替えると、外で控えていた輝政に声をかける。 「陽が落ちる前に宮殿にへ戻るぞ。他の者に見つからぬように潜んでな。……神殿(しんでん)を通る」  強く願った市井を見物できたというのに、心なしか寂しそうな微笑みを浮かべている。  輝政は軽口を叩く雰囲気でもないと感じ取り、大人しく彼女の後を追った。 「――これは……っ!」  神子や祭事を管理する高位の神官以外には入ることが許されない場所。――それが神殿だ。  神殿に足を踏み入れ、祀られているものを目にした輝政は、思わず声をあげてしまった。  あげずにはいられなかった。
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