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ざーっという音にふと顔を上げる。激しく打ち付ける雨は、それでも通り雨だとわかる降り方をしており、いかにも夏の雨といった感じで降り注ぐ。
手元の文庫本に視線を戻そうとしたときに、ふと視界に入る人影。こんなさびれた駅を使う人はあまりいない。そのため、何度か見かけると自然と覚えてしまう。その人も手元の文庫本から顔をあげ、外の様子を眺めている。
小さな駅舎。窓があるわけでもなく、吹き抜けになっている。ホームに椅子がないため、誰もが待合の椅子を利用する。改札らしい改札はなく、ホームと待合の間に投票箱のような箱が置かれている。
その人の顔が戻ってくる。目をそらす前に、視線が交わる。その人が軽く頭を下げるので、あわてて首だけの挨拶を返す。何度か見かけたことがある顔だった。向こうもきっと見かけた記憶があるのだろう。
雨の音は激しいまま。まるで、ここだけが世界から隔離されてしまったかのように、音が包み込む。太陽に焼かれた土に水がしみこむにおい。草木の存在感がいっそう際立つ。
なんとなく、文庫本の文字を目で追うことができなくなり、本にしおりを挟んで閉じる。背もたれを使ってぐっと伸びをする。ちらりと見たその人は、さっきと同じように外を眺めていた。何かを探すような、何かを期待するような、そんな視線で。
そのうちに雨脚が弱くなる。それと同時に雲の隙間から青空が見え始める。雨が完全にあがり、太陽が差し込む。
その人の視線は、まだ外にそそがれている。そして、どこか悲しそうな色を宿して、文庫本に戻される。
「虹って」
つい声を出してしまった。その人を見るでもなく、外を眺めながら。
その人が顔を上げる気配を感じながら続ける。
「虹って意外とできないもんですよね」
その人が外に目を向ける。そして、小さくうなずく。
「でも、しずくに濡れた葉っぱとか、水たまりとかってきれいじゃないですか?」
雨のしずくをたくさんちりばめた草木たち。太陽を反射する水たまり。
なぜこんな言葉が出てきたのかはわからない。読んでいた文庫本の影響かもしれない。
電車が近づく音がする。
「電車、来ますよ」
その人は、それでも外をじっと眺めている。
「あの……」
電車が止まる。
「あ、すみません」
そういって立ち上がり、電車に向かう。2車両しかない電車。誰も乗っていないのに、離れて座るのも違和感があって、隣同士に腰を下ろす。
「私、しずくって言うんです」
「え?」
何を言っているのか理解ができず、聞き返す、
「名前。しずくなんです。両親はひょっとしたらこういう景色を見て名づけたのかなって。いままで気づかなかった」
「はぁ」
気のない返事が漏れる。その人が顔を向ける。
「お名前は?」
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