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董哉は自分の料理店を構えることが夢だった。それも国内ではなく、あえて海外で展開したいと考えていた。 その為の努力は惜しまないつもりで、肝心の料理の腕は幼い頃から磨きつつ、語学勉強も並行して行う日々。大学も栄養学部を専攻した。 第二次性がオメガという、社会的に大きなハンデを背負いつつも、家族のサポートと董哉自身の努力でどうにかカバーしてきた。 店を開くなら国内でもいいんじないか、という周囲の声を嫌と言うほど聞いてきた。それらを全て振り切り、アメリカへの留学へ踏み切ったのが3ヶ月前。 留学先の環境にようやっと慣れ始めた頃、大学の紹介で軍事食堂の手伝いをしないかという案内が来た。 手伝いというのは、文字通りただの雑用に近い仕事をさせられること。アルバイトでもないので無給だ。後日、友人伝いに聞いた話だが、董哉に話が回ってきたのは勤勉な日本人だからという理由だけらしい。 無給という点は苦しかったが、実際の食堂で働く経験は得難いものであった。結局、董哉は最終的に提案を飲んでいた。 もっとも、初めから上手くはいかなかった。 いまだに肌の色程度で人を下に見る人種がいる国で、オメガの差別がないわけもなく。 初めてオーナーのヘンリーと顔を合わせた時も真っ先にオメガ性について言及された。 「まあ、オメガだから期待はしてないけど。ほどほどに頑張ってくれればいいよ」 日本であれはセクハラと見做されても仕方ないド直球な差別発言に、倒れそうになったのはここだけの話。 シフトに関わることなので既に他のコックにも董哉の第二次性は通達済みで、キッチンに入るなり訝しむ目で見られたのは今でも記憶に残っている。 当然、そんな環境でまともに包丁の1つも握らせてもらえる筈もなく。董哉は皿洗いとゴミ捨てだけを任される文字通りの雑用だった。 しかし、そんなことでめげている時間もなかった。留学の期間は1年、貴重な体験を泣き寝入りで終わらせている暇はない。 董哉はとにかく、ヘンリーをはじめとした厨房の面々に認めて貰う為に動く必要があった。とはいえ、雑用の董哉が勝手に食材に手をつけようものならクビになる。そこで董哉は掃除に目をつけた。 腹を空かせた軍人達を満足させる為には、とにかく油の乗った料理が1番だ。しかし、忙しさを理由にコック達は対して掃除をしない為、キッチンは油汚れや水垢で汚れが蓄積していた。これでは、下手をすれば火災にもなりかねない。 董哉は食堂が閉じた後の時間を特別に貰い、何日もかけて少しずつキッチンの汚れを落としていった。3日目辺りから、キッチンの様子に気づくコックも現れ始めた。 「最近、キッチンが綺麗になったような気がするんだが……僕の気のせいかな?」 「ああ、それはトーヤが1人で毎晩掃除しているからだよ」 「あのオメガが?1人で!?なんてこった!」 会話をつい聞いてしまった董哉は、ついついガッツポーズをしてしまった。 事情を知るヘンリーを中心に、董哉の噂はコック達の間に少しずつ広まっていった。 そして「掃除を任せるならトーヤが1番」という共通認識が芽生え始めた頃、コック達も董哉自体に興味を持ちはじめた。 「トーヤ、折角なら野菜でも切ってみるか?」 「お前無給で働いてるんだって!?よくやるなぁ」 「トーヤ!揚げ物はできるか!?そこのポテトを揚げてくれ!」 食材や調理器具に触らせて貰えるようになったのは、董哉にとっても大きな変化だった。 まだ雑用の域こそ出なかったが、董哉の活躍が軌道に乗り始めていた頃だった。 軍に所属する兵士まで、董哉の噂が届くようになった。 ある日、いつものように完成した料理を運びにキッチンを出た時、不意に嫌な気配を感じた。直感と経験で、董哉を見ものにする視線だと気づいた。 日本でも散々浴びてきた視線に、今更憂いている時間はない。何故今になって好奇の目に晒されているかは分からなかったが、こういうのは気にしない方がいい。気持ちを切り替えようとキッチンに戻ろうとしたが、出入り口を1人の兵士に塞がれていた。 「マジかよ。本当にアジア人が働いてやがる」 ……これは後日ヘンリーから改めて聞いた話だが、アメリカ人の中にはアジア人を下に見るような人もいる。中国、韓国、日本を混同する人もいるとかいないとか。 そんな兵士たちにまでコック伝いに董哉の噂が広まったらしい。勿論、どこから漏れたのかオメガという情報付きで。 そんな彼らが噂を確かめる為に、普段は利用しない食堂を珍しく訪れたらしい。 そして偏見持ちの筆頭にして、この時董哉に話しかけた人物こそ、今後董哉の悩みのタネとなるフレッドだった。
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