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倒れてから4日目。董哉はようやく食堂の手伝いに復帰した。
周囲からは心配2割、嫌味6割、セクハラ2割といった反応だった。セクハラはともかく、今回は間違いなく自身のずさんな体調管理が原因なので、嫌味は甘んじて受け入れることにした。
反省もそこそこに、董哉は神妙な顔で唐揚げを揚げている。
考えるのは、病院代を立て替えてくれたフレッドのこと。860ドルなんて普通に大金だ。そんな簡単に払える額ではない。
何が目的なんだろう?ただ顔だけ知ってる学生オメガに大金を使うなんて、それこそ脅す目的だろうか?しかし、今日に至るまでフレッドからの連絡や接触はなかった。
悶々と考え込んでいるうちに、全ての唐揚げが揚げ終わっていた。カラッと上がった熱々の唐揚げをトレイに移し、いつものように料理を並べる為にキッチンを出る。
料理の盛られたトレイを置いて、食堂を見回す。フレッドは既に食堂に姿を現しており、取り寄せる用の皿を片手に料理を取る為並んでいた。
しかし、その姿はどこか他所他所しい。明後日の方向を向いて、まるで董哉から視線を逸らしているようだ。
いつもだったら不思議に思いつつスルーする董哉だったが、今日はそういう訳にもいかない。董哉は体格のいい軍人達をかき分けて、フレッドの腕を掴んだ。
「フレッド」
董哉が呼びかけると、フレッドはギョッと目を見開いた。そういえば、名前を一方的には知っていたけれど、呼びかけたのは初めてだったかもしれない。
それどころか、まともに顔を見たのすら初めてだろうか。以前口に唐揚げを突っ込んだ時は、怒りでフレッドの顔どころではなかったから。
董哉は言葉を続けた。
「助けてくれて、ありがとう」
董哉からフレッドへ告げた言葉を聞いた周囲は、あっという間にどよめきに包まれた。
あのアジア人が礼を言った、今までほとんど喋らなかったのに。聞こえてくるのはそんな困惑。
しかし、どんな嫌がらせを受けようが助けてもらったらお礼を言うのは人として当然の事だろう。
それなのに、フレッドはポカンと固まっている。おそるおそる董哉がフレッドの腕を離しても、彼はピクリとも動かない。
鼻で笑われるくらいの反応を予想していた董哉にとって、無言というのは予想外だった。何か失言でもしてしまっただろうか?やはり金銭面のことを先に相談すべきだっただろうか?
言葉に迷って、董哉は視線を逸らす。
「救急車と入院の料金は……えっと、ローンで返すから」
「いらない」
謝礼を伝えた時の真髄さは何処へやら。しどろもどろに返金について答えようとしたところ、ピシャリと言葉を遮られた。
再びフレッドの方を見ると、仏教面で彼が見下ろしていた。
「今までのことの損害賠償として受け取ればいい。これでお互いチャラだ」
「コンペ……なんて?」
英語にだいぶ慣れてきた董哉ですら聞き取り難い早口で何かを告げたフレッドに、もう一度聞き返した。しかし、フレッドはこれで終わりとばかりに董哉に背を向けた。何かが帳消しにされたことしか理解できていない。
食堂内が水を打ったように静まり返る。そして次の瞬間、ドッと周囲が湧き上がった。
訳もわからないまま、突然笑い出した外野の兵士たち。今までどれだけ笑われようもスルーしてきた董哉も、流石に困惑のまま辺りを見回す。
誰も彼もが面白おかしく笑っているが、董哉に向けられる視線はそこまで多くはない。どちらかというと、フレッドの方を向いて笑っている。
すると、1人の兵士がフレッドにダル絡みしにいった。それを皮切りに、周りの兵士達もフレッドの肩や背を叩いたり、食事に戻っていく。
あれだけ笑われていたフレッド様子が気になったが、背を向けたフレッドの顔は身長差と相まって伺うことができない。
「おい、何やってるんだ!」
ポカンとフレッドの背を眺めていたら、ホールの騒ぎを聞きつけたらしいヘンリーがやってきた。彼は董哉の肩に腕を回すと、そそくさとキッチンに連れ戻した。
「トーヤ。君の働きは認めているけれど、あまり騒ぎを起こさないでくれ。これ以上は庇えなくなる」
肝を冷やすよ、全く。なんて言っているヘンリーが、董哉を庇っていた事実を初めて知った。そんな自覚は全くなかったが、ヘンリーなりに董哉を可愛がっていたようだ。
「それで?今回は何をしでかしたんだ?」
「実は俺もよくわかってなくて」
「はあ?そんなわけないだろう!」
「いや本当なんだ。わかったことは、おそらくフレッドが彼なりに俺を認めてくれたことくらい」
ありのまま事実を告げると、ヘンリーはこの世の終わりかと思うほどの絶叫を上げて後ずさった。
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