2.クレイジーな男

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2.クレイジーな男

 ホテルで番った事件から数週間が過ぎても、アルファ側からは何の接触もなかった。訴えられることもないし、あの日の夜には何もなかったかのように音沙汰がない。  うなじの傷痕は、それとはわからないくらいに薄くなった。それに伴い、勇大も番がいることを忘れそうになるが、ふとした瞬間にうなじが疼き、それは覆らない事実だったと思い知る。  勇大が相手の名前も顔もわからないように、アルファ側も勇大のことがわからないのかもしれない。それで訴えることもできずに、地団駄を踏んでいるのではないか。  とりあえず慰謝料は払わなくても済みそうだ、と勇大が自宅アパートで安堵していたとき、突如スマホの通知が飛び込んできた。 「えっ! 採用!?」  勇大はスマホの画面を見て、思わず飛び上がった。  築五十年、六畳間のアパートの床がミシミシ音を立てる。また下の階の飲んだくれオヤジから、うるさいとクレームが来るかもしれないが、勇大はそれどころではなかった。ずっと待ち望んでいた通知に喜びを隠せない。  飽きっぽい勇大は、高校中退後、仕事を転々として職歴はめちゃくちゃ。底辺な履歴書だ。それなのになぜか採用通知が来た。仕事が手に入ればお金ももらえる。前の職場を退職してから十ヶ月が過ぎ、失業手当をもらいながら日雇いバイトで食いつないだものの、もう貯金が底をつきそうだった。  しかも採用されたのは、有名アパレル企業だ。ここの服が好きで、それだけの理由でダメ元で応募したのに、まさかの採用通知に胸が躍る。  正社員ではない。時給で働く契約社員だが、頑張れば正社員への登用もあるらしい。 「マジかよ俺、頑張るわ」  勇大はスマホの採用通知を何度も眺める。何度見てもやはり採用の文字が画面に躍る。これは間違いではないと、ついつい顔がにやけてしまう。  不運のあとには幸運が訪れる。オメガがひとりきりで生きていくためには、まず職が必要だ。先立つものはいつだって金。世の中のほとんどは金で動いていると言っても過言ではない。
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