2.クレイジーな男

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 その日の災難はそれだけでは終わらない。  服をここで買ったが、返品してほしいという四十代くらいの男性客が来店した。 「ですからタグのない商品は返品できません」 「レシートがあるだろ!」 「これは、別の店のレシートです……」  さっきから押し問答が続く。返品はできないと何度も訴えているのに、男性客は頑なだ。 「とにかく一回しか着てないんだから金返せよ!」 「一回着てるし食べこぼしのシミついてんじゃん……」  勇大のストレスはMAX。お客様は神様じゃない。さっさと諦めて帰ってほしいと思うのに、男性客はしつこい。 「話になんねぇな。お前みたいな下っ端じゃなくて責任者を呼べよ!」  そう男性客に怒鳴られたので、店長の責任者の木村に視線を送るが、シッシと手であしらわれた。予想どおり、木村に勇大をフォローする気はないらしい。  理不尽極まりない客。庇いもしない店長。あークソ、こんな仕事辞めてやると、勇大が客を殴り飛ばしてやろうとしたときだ。  横から男性客に向かって強烈パンチが飛んできた!  と思ったら寸止めだった。それでも男性客は腰を屈めてビビりまくってる。 「お客様、責任者は私ですが、何か?」  現れたのはスーツ姿の男だ。  背の高い男は、さっき殴ろうとしたくせに、にっこりと恐ろしいまでに完璧な営業スマイルを男性客に向けた。 「この会社の代表取締役社長(CEO)北沢燈利(きたざわとうり)と申します」  北沢は名刺を男性客に差し出した。男性客は「し、CEO!?」と名刺と北沢を何度も見比べ、驚きを隠せない様子だ。  男性客だけじゃない。勇大もポカンと開いた口が塞がらない。  社長がなぜここにいるのだろう。たまたま、店舗巡回にでも来たのだろうか。  この会社に就職したが、中途の契約社員採用のため、入社式のようなものはない。  だからこのとき社長の姿を初めて見た。エリートビジネスマンらしい、黒髪のショートヘア。優しげな目元に、綺麗な鼻筋。完璧で無駄のない、整った顔だ。  アパレル企業の社長なのに、ここまでビジュアルがいいとは。もしかしたら過去にモデル業か何かをしていたのかもしれない。  北沢はたじろぐ男性客に一歩近づいた。 「一部始終見てた。従業員への罵倒は許さない。出るとこ出るぞ」  さっきまで営業スマイルだったのに、北沢は急にめっちゃ怖い顔になる。 「す、すみませんっ!」 「謝る相手が違うだろう? 俺じゃない」  それを聞き、男性客は勇大に「どうもすみませんでしたっ」と謝り、逃げるように立ち去っていった。  北沢の次の矛先は木村に向かう。 「おい。お客様は責任者を呼んでたぞ。それなのに店長のお前はなんで奥に引っ込んだままなんだ?」 「もっ、申し訳ございませんっ。他の対応で手が離せなくて」 「この期に及んで嘘をつくのが気に入らない。降格だ。研修からやり直せ」 「そんなっ! 社長、ちょっと待ってくださいよっ」 「この一回じゃない。お前には前科がある。お前がいる店舗の新入社員が今までに何人辞めていったか、その理由も報告が上がっている。うちはチームワークを重視したいから個人の販売ノルマは設けていない。管理職なら何をすべきか、店長会議で何度も話をしているだろ? 安心しろ、うちの研修では人としての在り方から教えている。真面目に勉強すればまともな奴になれるかもしれないぞ?」 「いや、でも、社長ぉ、考え直してくださいよぉ……」  木村は社長に縋るが、まったく取り合ってもらえない。  この会社の人事は、なかなかまともに機能しているようだ。木村が店長として管理職にいたら、いつまで経っても新人が育たないだろう。  勇大が三日で辞めたいと思ったように、今までも木村の弱い者イジメは繰り返されてきていたのかもしれない。 「この社長、クレイジーだ……」  勇大の口から思わず本音がこぼれる。  北沢は見た目は柔和な雰囲気なのに、なかなかに情動的だ。  カスハラ客を完膚なきまでに打ちのめし、社員を容赦なく降格させる。  面白い奴だな、と思った。型にはまらない爽快な男を見ていて勇大はフッと笑う。  北沢の行動を遠目から見ていたのに、北沢は今度は勇大に近づいてきた。  やばい。順番が回ってきた。次は勇大が責められる。
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