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「新入社員」
北沢はにっこりと勇大に微笑んでくる。
北沢は勇大よりも十センチは背が高い。見下されないようにと勇大は身構える。
何を言われるだろう。この男は、新人だからといって甘い評価はつけなさそうだ。さっきのふてぶてしい態度を注意されるのだろうか。クレーマーに対する対応がなってないと怒鳴られるのだろうか。
「お前は今から一時間休憩をとれ」
「は、はいっ! ……えっ?」
てっきり怒られると思っていたのに、勇大は拍子抜けだ。
「一時間きっちり休んでいいんすか?」
「当たり前だろう。そういう規定だ」
いつも「新人は研修の身なんだから休まないで学べ」と言われて、一時間休憩はもらえないのに、今日は木村から文句は言われなさそうだ。
「俺と一緒に食べよう」
「へっ?」
どういうことかと勇大は首をかしげる。これは新手の新人面接、なのだろうか。
「寿司とパスタどっちがいい?」
「あ、す、寿司で……」
「わかった。じゃあ行こう」
勇大はそのまま北沢に連れて行かれる。もちろん逃げることは許されない。
北沢のあとを追って歩いているあいだも、勇大は気が気じゃない。
これは面接の内容によっては、クビにされるのかもしれない。
なんで今日に限って社長が来るのだろう。しかもカスハラオヤジとやり合っているところを見られるとは最悪だ。
——あれって俺悪くなくない!? これでクビにされるなら、こっちから辞めてやんよ、ったく!
勇大は北沢の背中を睨みつけながら、心の中で悪態をつく。クビにされるにしても、言いたいことだけは全部言ってやろうと思っていた。
勇大が北沢に連行されたのは、高そうな寿司屋だった。
暖簾をくぐって中に入ると、広々とした木目の綺麗なカウンターの奥に、ザ寿司職人といういでたちの板前がいる。少し強面の板前は、北沢を見つけた瞬間すぐに笑顔になった。
「いらっしゃい! ……あれ? 社長、今日は初めてのかたといらっしゃいましたね!」
板前は、元気に挨拶をしてきた。
「ああ。俺の大切な人だ。今後、この子がこの店に来たら、なんでも好きに食べさせてやってくれ。代金は俺が払うから」
「……なるほど。わかりました! そのようにいたします」
「よろしく頼む」
北沢は勇大の名前をフルネームで板前に告げ、板前もそれに頷いている。
社長は勇大の名前は知っているようだ。事前に面接のための予習でもしてきたのだろうか。
「今後、昼休みに寿司が食べたくなったらこの店に来なさい。いいね?」
「はぁっ?」
勇大はいろいろ意味がわからず、素っ頓狂な声を出す。
「社長、おかしいですって、俺がめっちゃ食ったら社長の支払いヤバくなりますよ?」
「別に構わないよ」
「毎日通って、十万とか、二十万とか食ったらどうすんですかっ!?」
「なんだ。その程度の金額で騒ぐなよ」
「じゃあ、人連れてきて、百万使ったら!?」
「大将が儲かるからいい。人数が多いときは、事前に予約をしろ。そして、それをすっぽかしたりするんじゃないぞ、いいな?」
「……信じらんねぇ」
勇大が何を言っても北沢には常識が通じない。
なぜこの社長は、ただの従業員を『俺の大切な人』などと表現するのだろう。
他の社員たちも、この店で食べるときは社長が支払いをしているのだろうか。
そんなに言うなら、マジでタダ飯食ってやると勇大の中に変な闘志が湧いてきた。
「もういいや。さっさと面接始めてくださいよ」
「面接!?」
北沢は、なぜか驚いて目を大きくする。
「なるほど。そう思ったから、俺の後ろをのこのこついて来たのか。くっくっ……可愛いな」
北沢はひとりで嬉しそうに笑っている。なにか間違ったことを言っただろうか。
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