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ふたりは奥の個室に通された。六人掛けのテーブルに、勇大は北沢と向かい合わせに座る。
まずは食べたいものを注文するように促された。注文を終えたあと、北沢とふたりきりで向かい合う。
「お前、さっき俺が止めに入らなかったらあの客を殴る気だっただろ」
開口一番、北沢に痛いところを突かれて勇大は一瞬怯んだ。
やっぱりその話だったか。勇大は負けじと北沢を鋭い視線で睨み返す。
「あれはカスハラだろ。俺はまともに対応してやったのに、偉そうにしやがって。あぁいう奴がのさばってんのが俺は我慢ならねぇの。こっちが下手に出てたら調子に乗りやがってあのクソオヤジ……」
言ってしまってから、言い過ぎたと反省してもすでに遅い。北沢はビジネスライクな笑みを浮かべながらきっちり勇大の話を聞いていた。反抗的な社員は即刻クビにされるかもしれないのに、いきなり正直にやり過ぎた。せっかく手に入れた仕事だったのに。
「そのとおりだ。企業としては真摯に対応するつもりだ。顧客だけじゃなく従業員に対してもな」
「え……?」
「結果的には殴らずに済んだな。今度問題のある客が来たら、殴る前に全部報告を上げろ。全店舗に防犯カメラを設置している。それらを使って、うちの顧問弁護士に法的に処理させる」
「俺、クビにならないんすか?」
「ならない。お前は被害者だろ。なんでクビになる?」
「あ、はい……」
どうやら北沢は、話のわかる社長のようだ。クビにされるかと思ったのに、お咎めすらなかった。
「南勇大。二十五歳。バース性オメガ。高校中退で職歴はめちゃくちゃ、資格、免許なし、か……」
北沢は履歴書も何も見ずにスラスラと勇大のことを語ってみせた。
まさかこの社長は恐ろしく頭が良くて、社員の履歴書を全部頭にインプットしているのだろうか。こんな底辺社員の情報まで知っているなんて驚きだ。
「高校は? なんで途中で辞めたんだ?」
「一身上の都合です」
高校を辞めた本当の理由なんて迂闊に人に話したくない。勇大はいつも同じ返事で面接を乗り切っている。
「もっと詳しく。一身上の都合とは?」
「だから、一身上の都合ですよ」
北沢は話す気のない勇大の態度を見て、「そうか。わかった。話したくなければそれでいい」とため息をついた。それ以上の追求はなく、北沢は早々に引くことにしたようだ。
企業面接では、これだけで態度が悪いと不採用が即決定するときもある。
北沢はそうはしなかった。ダメなところばかりの勇大を認めてくれるとは、北沢は心が広いタイプの人間のようだ。
「こんな俺を採用してくれてありがとうございます」
どこに出しても恥ずかしい、ひどい履歴書。どうしても態度が悪くなってしまう自分自身。自慢できることがひとつもない。それでも雇ってくれたこの会社には感謝しなければならない。
まぁ、さっき、三日目にして客を殴って辞めようとしたばかりだが。
「こちらこそ。うちを選んでくれてありがとう。履歴書を見たとき、運命を感じたよ」
契約社員を雇っただけで、運命を感じただなんて大袈裟だ。別にこっちからすれば、何十社も出したうちのひとつに過ぎないのに。
「会えて、嬉しい」
北沢は微笑みかけてきた。
その笑顔に勇大は一瞬で心を掴まれる。
もともと顔がいいのはあるのだろうが、さっき男性客に見せていたような営業スマイルではなかった。
北沢が心から嬉しそうな顔をして笑ったのだ。
まるで遠距離恋愛をしている恋人に久しぶりに会ったみたいな表情だ。会いたくても会えなくて、電話で言葉を交わすだけじゃ足りない、そんなふうに思っていたのに今、やっと会えたとでも例えるような、重みのある雰囲気だった。
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