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1 前途多難な新生活
引っ越しの最中だった。
成人男性同士の取っ組み合いの喧嘩を初めて見た。殴り合うというよりも押し合うような、引っ張り合うような絡み方ではあったが、それは凄まじい迫力だった。特に片方の男は図体が大きかったから圧倒された。大人の喧嘩だ。止めに入るのは無理だと覚った。
祖父と顔を見合わせた。
ーー変なアパートに越して来てしまった!
木瀬柊真はこれからの生活に当然の危機感を抱いた。
静かな環境だと聞いていたのに。ここで暮らしていけるだろうか。
痩せ型の男が体躯の良い茶髪の男に振り回された挙句に突き飛ばされ、地面に投げ出された。透かさず重量級の引越し作業員がその間に入った。
「よせ」
か細い男は地面に手をついて、暫く動かなくなった。それを見ているこっちは歌舞伎の舞台を見ているかのような気分だ。女形のナヨナヨしくも艶かしいあの動作が思い出されて、感情が心の内から引き摺られるような気がした。
ーー男だよな?
その男は長髪を首の後ろで一つに纏めていた。その様は泣いているようで、柊真含めて周りはあたふたして彼を囲った。それを見て茶髪の男は面白くなさそうに、さっさといなくなってしまった。
すると周囲の困惑を余所に、項垂れていた筈の男が突然すっくと立ち上がった。それから、
「ごめんなさい」
随分と投げやりな言い様にその場の全員が当惑した。
男は何事もなかったかのように、そのままスタスタと歩いて端の部屋の扉を開けて、その中に吸い込まれるように消えて行った。
それを見た柊真はまた祖父と顔を見合わせた。その部屋は今日から柊真が住む部屋の隣室だったからだ。
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