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「神の力は弱まってしまった。従来あった龍と巫女の関係が乱れ、正しい循環がおこなわれていないせいで、この地は穢れに満ちている。水上もまた衰退しているのだろうな。穢れが浄化されぬまま時が経ち、神が顕現することも叶わない」
「お兄さんは、天沢さまなの?」
私の問いに、お兄さんは曖昧に微笑んで明言を避けた。
天沢家に息子がいることはおぼろげに知っていた。
私より十ほど年上の後継ぎ。天沢と水上で、年まわりのよい男女の子が産まれたのは久しぶりのことで、水上は天沢へ縁談を持ち掛けたと、使用人たちが囁く噂話を聞いていたのだ。
「僕はタツオミだよ」
「タツオミさま」
「君の名前は?」
「わたしは――」
綾子。
姿を見られ、名を問われたらそう名乗るように言いつけられていた。
しかし、こうして私自身を認識し、優しくしてくれたこのひとに、偽りの名を告げることに抵抗を感じてしまった。
「わたしは居ない子どもだから、名前はないの」
恥ずかしくなって顔を伏せる。
するとタツオミさまはこう言った。
「では、僕が名を与えよう、龍の巫女よ」
そして私の顔を見る。タツオミさまの綺麗な瞳に自分の顔が見えた。
みすぼらしく痩せ細った子だ。
私はもっと恥ずかしくなったけれど、何故だか目を逸らせなかった。
「サヤ。清らかな者、そして鋭く尖った刃でさえ包んで護る強き者」
「さや……」
綾子の代わりでしかなかった私は、その日『私』を手に入れたのだ。
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