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「……頑張ろう」
同じ人間なのだ。きちんと説明すればわかってもらえる。今までだってそうだった。
チレは心を決めて扉をひらいた。
中は聖女のために準備された居室になっていた。広い居間と衣装部屋、そして寝室。どの部屋も高級な家具や、美しい花の生けられた花瓶が並び、床にはやわらかな絨毯が敷かれ、柱や壁には女性が好みそうな花模様が描かれていた。
その居間のテーブルについた当代聖女は、豪勢な料理を前に、酒だけを浴びるように飲んでいた。半眼になった目は据わっている。
チレは彼の元に向かい、おずおずと声をかけた。
「……あのう、お料理もお召しあがりにならないと、身体に悪うございますよ」
しかし聖女はチレを無視した。ピッチャーから杯にエールをダバダバ注いで、それに蜂蜜酒を加えて一気飲みする。見るからに身体に悪そうな飲み方だ。やけっぱちの様相で飲んでいるので味は気にしていないらしい。
「で」
赤くなった顔の聖女が、睨みつけてきた。
「このネズミの国」
「はい?」
何のことかと問い返す。
「ここ、ネズミだらけのこの国は、一体何なんだ?」
「――ああ。はい。ここはですね、第二大陸西端ロジロン王朝第三国リカリエ州エエナ半島先端に位置するエクレシア・カテドラリスでございます」
「何その設定」
「設定」
聖女は酒を呷った。
「意味わかんね」
ぼやきながらテーブルの脚を蹴る。
「けど、この建物もハリボテじゃないみたいだし。お前らもぬいぐるみじゃないみたいだし……」
「はい」
「一体どうなってんだよ」
そして黒い髪をガシガシと掻く。
「……俺は」
酔いの回った口調でもらす。どうやらこの人は酒にはあまり強くないらしい。
「俺は、今朝、地下鉄の階段をのぼってた。通勤ラッシュの時間帯で、周囲には人が大勢いた。最後の一段をのぼり終えて地上に出た瞬間、いきなり周囲が真っ暗になった」
聖女は瞳をテーブルに落として話を続けた。
「訳わかんねえ。何が起こったんだよ」
そしてまた酒を飲む。
「あんとき、あたりを見回しても暗黒の闇ばかりで、そのうち目が慣れてきたら、周囲に小さな星がいくつも散らばってるのがわかった……」
目を細め、記憶を辿るようにして呟く。
「たくさんの星が頭上にも足の下にもあって、まるで宇宙空間に浮いてるみたいで、……怖くなって、パニックに襲われそうになったら、ふいに身体が大きな力で引っ張られて、そのまま高速で運ばれて気がついたら床に尻餅ついてた」
それは今までの聖女が通ってきたものと寸分違わぬ道筋だった。彼が通ってきたのは闇の回廊とチレらが呼ぶ空間で、無数の星は異世界と考えられている。
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