超・妄想【届けたい○○】

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ゆっくりと落ちていく陽の、眩しいほどだったオレンジが、藍色になって降りていく。先輩のオレンジ色だった髪の毛も、暗い茶色になっていた。 「クッキー……」 口許を片手で隠して、頬杖をついた先輩から、ぼそりと聞こえた。クッキー? 「誰かに渡すやつとかじゃ、ねぇの」 あー、そんな子もいたなぁ。彼氏いる子とかは。私はどうかっていうと。 「家で家族と食べましたよ」 ちら、と先輩の視線がこっちを向く。その視線は冷たくて、鋭くて、なのに怖くない。怖くないのは、私の気持ち次第だろうけど。 「あぁ、もしかして……ごめんじゃないって、そういうことですか?」 ぶつかったのは、お互い様。クッキーが割れたのは、先輩のせいじゃない。でも結果だけを見れば、ぶつかって、転んだから、クッキーが割れた。 先輩とぶつかって、クッキーが割れたのに、私が謝ったから。"謝ってんじゃねぇよ"ってことかな。 「先輩はクッキーが割れたことに対して、責任を感じてくれていたんですね?」 「……、……、……っ」 「問題ないですよ、割れてても。家族多いのでどのみち割って食べることになったろうし」 事実、割れたクッキーは更に割られてみんなの口に入りましたとさ。手作り、家庭科の調理実習の成果ともなれば、貴重だ。おかし作りなんて普段やらないし。 「……そういうことじゃ、ねぇだろ」 ボソッと言ったにしては、はっきりと届く声。私は先輩の横顔を見る。先輩は正面を向いたまま、視線だけこちらに流し、口をへの字に曲げた。 「ぶつかるまでは、落とすまでは、完全体だったろうが。なにもなければそのまま持ち帰るなり、誰かにやるなりできたはずだ」 お、口数が増えてきた。誰にあげる予定もなかったけど。うん、私が言っているのも結局は結果論だから、先輩が納得いかないのは、わかる。 「だから……」 ふいっと顔を背けた先輩。私はその顔を少しだけ追いかけるように身を乗り出した。そしたら、地の底よりも低く、氷山よりも冷たい声で「悪かった」と聞こえた。 ……ああ、あー、もしかして、わかったかもしれない。今日、放課後になって学校に来たのは、他に用事があったのかもしれないけど、ここで、一年生の昇降口で待っていたのは。 謝るために。 昨日、ぶつかって、クッキーを割ってしまったことを、謝るために。ここにいた。 「……あの時、その場で言えれば、それで済んだのに」 「ぁあ?」 振り返った先輩の顔が、急に近くなる。私が身を乗り出していたからだ。と、思ったらすごい勢いで離れる怖い顔。 「言えれば、ですよ。先輩。言えなかったから、今日来てくれたんですね」 ああ、なんて不器用なんだろう。 なんて、わかりづらい人だろう。 「はい。謝罪は受け入れました。この瞬間をもって、廊下の角でぶつかったこと、実習で作ったクッキーが割れたことも、すべて不問となります」 ぶっきらぼうで、不器用で、へたくそな謝罪。きちんと届きました。 先輩は少しだけ眉を寄せて、怪訝な顔をした。それからまた言いにくそうに口を動かして、低い声をこぼす。 「……なんで先輩って呼ぶんだ」 「三年生ですよね」 「誰も近寄って来ようとするやつなんかいねぇのに」 「ぶつかるほど近寄りましたけどね」 それは不注意だろ、と睨まれる。 「……怖くねぇのかよ」 その質問は、きっと先輩自身が恐れている証拠。きっと同級生も、先生も、下級生も、みんな恐れて近付かないのだろう。 きっと誰も、先輩の見てくれだけを視界に入れて、中まで見ようとしないんだろう。眼鏡かければ、普通の人なのに。 「恐れる必要は、ないですね」 そう、怖くなんてない。見た目だけが怖いこの人は、きっと中身はずっともっと、不器用で、可愛らしい人だ。 夜の帳が降りてくる。 少しだけ冷えた風が髪の毛を揺らす。私はその風を浮けるように立ち上がった。 強面の先輩を、今度もまた見下ろし、微笑む。ちょうど、校門に迎えの車が止まり運転席からひょろっとした男が降りてきた。 長身の優男は色の薄いサングラスの奥で、目を細める。にやりと笑う口許に咥えられた細いタバコ。派手な柄の半袖シャツの袖から覗く腕に刻まれた桜の刺青。 「お嬢、お迎えですよ……っと、あれ?」 とことこと私は優男に近づく。その後ろを先輩がついてきて、私を庇うように優男との間に立ち塞がった。 「ほぉん? いい面構えですけど。どこの組?」 「その前に。禁煙」 庇われていた太い腕の下を潜り、私の指で優男の口からタバコを引き抜く。半袖シャツの胸ポケットから携帯灰皿も引き抜いて、処理。 「……、……」 先輩が強面を更に歪める。困惑と、細やかな恐怖だろうか。私はそんな先輩を安心させるために、微笑む。 「先輩、また明日」 車の後部座席に乗り込み、立ち尽くす先輩を横目に見ると、車はスムーズに走り出した。 さて、先輩は明日も学校に来るだろうか。 少女漫画みたいに、これは素敵な出会いとなるだろうか。 私が先輩の理解者になれたら、始まるだろうか。 「すこーし、ドキドキしてます」 芽生えた気持ちはこれからどんどん大きくなるだろう。大切に育てたら、きれいな花束になるだろうか。 私の想いは、届くだろうか。 *end*
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