6. 王太子とのひととき

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6. 王太子とのひととき

 王太子の部屋の扉をノックすると、中から王太子の返事があった。  良かった。彼はあのまま部屋に戻っていた。 「シルビアです。お約束はしていませんが、王太子殿下にお礼をお伝えしたく参りました」 「……」  王太子は迷っているようだったが、返事はないまま、中に居た侍従が扉を開けてくれた。  開かれたドアから部屋の中を覗けば、王太子は山積みの書類が置かれた席につき、ペンを走らせている。 「入れ」  王太子のその声で私は中に入ると、入れ替わるように侍従は部屋の外に出て待機した。 「ちっ。ユルゲンの奴、別に外で待機しなくても良いものを……」  舌打ちをしてペンを机に叩き置くと、王太子は席を立って私に近づいてきた。 「それで、礼とは?」  私は少し屈んで手に持った白いアイリスの花を見せる。 「美しい花をありがとうございました。白いアイリスは初めて見たので嬉しく思います」  言葉にすると一層嬉しさが増し、つい顔がほころんでしまった。王太子はその私の顔を見ると僅かに表情が緩んだ気がしたが、すぐに背を向けて席に戻るのでしっかりと表情が見れなかった。 「私がお前に与えた花印は白いアイリスだ」 「色も決まっていたのですね」 「ああ、そうだ……」  王太子はそう言うと、しばらく俯いていたかと思えば、意を決したように口を開いた。 「……もし昼食がまだであれば、その……一緒にどうだろう」 「え? ええ! ぜひ!」  突然、初めて王太子と過ごせる時間が出来て、自然と心が躍った。この感情はときめきとかそういう類ではなく、何とは言い表せないが、陽だまりのような暖かい温もりに包まれる感じだ。  だが準備された昼食の席を見て、自分が想像していたものとはかけ離れていたことにショックを受ける。  長いテーブルの端と端にそれぞれの席があり、間には大きな花瓶が置かれて相手の顔が良く見えない。身体を少し傾けて会話をしようと試みるが、距離が離れすぎていてかなり大きな声を出さないといけない事に気が付く。  暫くの間、部屋にはナイフとフォークが皿の上でカチャカチャと動く音だけが響いた。口に運ぶ料理はどれも味気ない。  この食事が終わったら、はいさようなら、ではまた今度、なのだろうか? その「また」とはいつだろう?  彼の事をもっと知りたいのに。どうしたらルイーザ王女の言っていたように支えられるのか。どうして彼は成長が止まってしまったのか……。  居てもたってもいられなくなり、メニュー最後の紅茶が目の前に置かれた瞬間、ティーカップとソーサーを持って立ち上がり、足早に王太子の席まで向かう。途中、女中達が止めようとしてきたが、彼女達には目もくれず、目的地まで猪突猛進した。  王太子までの距離はなかなかのもので、その距離をティーカップの中身を零さないように、そしてスカートの裾を踏まないように気を付けながら、少しでも速く歩いていたら、かなりのカロリー消費になった。 「息が上がっているが、大丈夫か?」  紅茶に口をつけようとしていた王太子は、ぎょっとした表情で横に立つ私を見上げていた。 「ええ、はぁ、ええ、はぁはぁ、問題ありません。戻るのも大変なので、こちらでこのまま紅茶を頂いてもよろしいですか?」 「あ、ああ、構わない。誰かシルビア嬢の椅子を」  侍従のユルゲンがすぐに私の椅子を準備してくれ、王太子の斜め前の席についた。 「やっとこうしてお話が出来て嬉しく思います」 「別にこの後、庭園でゆっくり話せるだろう」 「え? 庭園?」 「ああ、外は寒いが、冬にしか見れない景色もある。温室はルイスと行ったなら、私とは外の庭園に行こう」  王太子はルイスの事を少しひがんでいるのだろうか? 確かに双子の弟が立派に成長したのに、自分は子供の姿のままであったら、劣等感が芽生えても仕方ない。  食事を終えて王太子と外に出ると、太陽は南の位置をとっくに過ぎており、朝まで降っていた雪は積もる前に消え始めていた。冬の庭園は肌寒く、吐く息は白いが、空気が澄んでいてとても心地よい。 「寒くはないか?」  時折前を歩く王太子が振り返っては私を気遣う。 「いいえ、とても心地良いお天気です」  本来なら男性が腕を差し出して、女性がその腕に手を添えてエスコートしてもらうのだが、彼は私よりも随分背が低く、見た目が少年である。腕を差し出しても私が屈むことになるので、簡単に差し出すことが出来ないのだろう。 「きゃあっ」  地面に一部凍った場所があったようで、典型的な展開だが、私は見事に滑った。  すべる時に咄嗟に腕を伸ばしたら、王太子が両手で力いっぱい私の手を掴んで引っ張ってくれ、後ろに転げずに済んだ。 「だっ……大丈夫か?」  一瞬の出来事に、綱引きのようにお互い手を繋いだまま、見つめ合ってしまった。 「だっ……大丈夫です」  私がしっかりと足を地面につけて体勢を立て直した事を確認して、王太子は手を離す。  手の平から温もりが消えて少し寂しかった。  すると王太子は私の前で姿勢を正し始め、ダンスでも申し込むかのように、片手を後ろに回し、もう片方の手を差し出してきた。 「シルビア嬢、よろしければお手を。今朝の雪で地面が凍り、その靴では危ない」  小さな紳士の姿に、私の胸はほっこりと温まり、思わず微笑んでしまった。  私の微笑みを王太子がどう受け取ってしまったのかはわからないが、彼は恥ずかしそうに顔を赤くして、手を引いてしまいそうになったので、その手を逃さないようにしっかりと掴んだ。 「ありがとうございます。よろしければ、このままダンスでもどうですか?」 「は?」  私は戸惑う王太子の両手を掴み、軽くステップを踏みながら、くるくるとその場を二人で回る。 「これは……ダンスというか、子供の遊びだろ」  王太子が呆れた瞬間、二人揃って盛大に滑って、そのまま濡れた芝生の上に尻もちをついた。  王太子を転げさせてしまい、恐る恐る顔を横に向けたら、こちらを見ていた王太子と目が合った。  どれだけ怒らせたかとハラハラしていると、王太子は口を大きく開いて大笑いし始める。 「あははは、なんて令嬢だ」 「す……すいません……」  王太子と一緒に過ごしていると、時々彼の姿がちゃんと成人男性に見える事があった。笑う横顔は私と同じ年頃の青年のようだ。 「もう少しこのままでいるか」 「ちょっとおしりがひんやりとして気持ち悪いのですが……」 「罰だ。このままでいろ」  王太子は片側の口角を上げ、意地悪そうに笑う。  そしてそのまま二人で芝生の上で座っていた。
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