25. 抗えず

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25. 抗えず

 夜も更けた時刻に、バラド国王は素肌にナイトガウンという姿で王宮内を歩いていた。時間が時間なだけに、見張りの兵士がいるくらいで、特に誰かとすれ違うことも無いので問題ない。  近衛兵二人が守る扉の前で、バラド国王は足を止めた。近衛兵はバラド国王を見ると敬礼をして、扉をノックしてから開く。  バラド国王が部屋の中に入れば、待っていたのは同じくナイトウェア姿のルイーザ王女。昼間の姿と違い、髪は自然におろした状態で、宝石類も一切身につけず、真っ白で柔らかそうな生地のナイトウェアだけ身に着けている。 「お前には何もいらないな」 「は?」 「そのままで十分美しいと言ってるんだ」 「そういうのはいいので、さっさと寝室へ行きましょう」  ルイーザ王女はバラド国王を流し目で見て先に歩き出す。向かった先は隣に繋がる寝室。  ルイーザ王女は豪奢な造りのベッドの前で止まり、バラド国王に身体を向けた。バラド国王もベッドの前まで来て、二人でベッドを見る。  ベッドには衰弱しきった老人が死んだように眠っている。 「国王陛下、アウルム国のバラド国王陛下がいらっしゃいました」  だがオーバーランドの国王はルイーザ王女の声に一切反応しない。 「ルイ=アロイシウス国王、失礼する」  バラド国王はルイ国王の身体に触れる。 「やはり、生きているのが不思議な状態に変わりない。マナはもう失われている」 「思ったのだけど、シルビア嬢に助けてもらえないかしら」  バラド国王は首を振った。 「グリーンハンドといえど、枯れた樹木は蘇らせれない。そんな事をしようとしたら自身の命を捧げる事になる。捧げた例が歴史的になかったという事は、おそらく、今回アロイス王太子のマナの回路が閉じたように、グリーンハンドも命に関わるようなマナの与え方はやろうと思っても出来ないという事だ。身体が何らかの反応を示して送れなくするはず」 「ではあなたは? 貴方は人のマナを別の人間に遷すことが出来るでしょ? 私のマナを陛下に遷して」 「ルイーザ。私がお前の弟に出来たのは、アロイス王太子にマナが溢れていたからだ。それでもやはり、回路を閉じて余分なマナは遷せなかっただろ。人為的にはこれが限界だ」 「人為的には?」 「お前は本当によく人の発言を聞いているな」 「いいから続きを」  バラド国王は溜息をついた。 「そもそもマナは自然に流れ出たり、遷るもの。量には個人差があれど、基本成長と共にマナは増え、マナが体外に流れ出て老いていく。愛し合った時にはお互いのマナが二つの身体を一つのもののように流れ、マナの力を増大させる。その力で新しい命が宿るときもある」 「流れ遷る……」 「そうだ。アロイス王太子のようにバルブが閉じても体内にマナが残っていればどうにかなる。だがルイ国王の場合、王妃が亡くなった時に、尋常ではない喪失感で自身のマナが枯渇するまで体外に流れ出てしまったのだろう。寿命を短くしたんだ」 「寿命……」 「本来ならもう亡くなっていてもおかしくない。もしかしたら、何か心残りがあるのかもしれないな」 「心残り……」  その言葉にルイーザ王女の表情は曇った。 「ああ、国の王になるような器の者はマナの量がとても多く強い。マナが多く強いと、使命感も強いものだ。まだ死ねない何かがあれば、ごくわずかなマナを体内から逃さないよう必死に繋ぎ止めているのかも」  ルイーザ王女は黙りこくってしまった。バラド国王は彼女が何を思い詰めてしまったのかがわかった。 「散歩でもするか?」 「しないわよ。あなたが陛下を診終わったらすぐに眠るつもりだったのだから」  バラド国王はルイーザ王女の話など聞いていないのか、彼女の前に腕を差し出す。 「来るか、やめるか」  ルイーザ王女は不機嫌そうな顔をしてしばらくバラド国王を見つめ、スッと手を伸ばして彼の腕に添えた。 「では、行こう」  バラド国王はイスに掛かっていたショールを掴み取って、ルイーザ王女を連れて部屋を出て行った。 「なあ、なぜ俺がルイ国王を診る時は必ず早朝や夜中なんだ?」 「なるべく宮中の者にあなたが診断に来ている姿をみせないためよ」 「あー、なるほど。マナを怪しい占術だと思ってるんだな」 「ごく一部の者だけよ。それと、国王の容態はあまり詳しく知れ渡ってはいけない。そういうことは内乱を起こしかねない」 「お前は本当に色々考えてるな」  王宮から離れた庭園の芝生まで来た。バラド国王はそこで立ち止まると急に座り、ルイーザ王女にも横に座るよう芝生をぽんぽんと叩いている。 「芝生の上に王女が座るわけないでしょ」 「どうせ誰も見てない」  バラド国王は躊躇するルイーザ王女の腕を引っ張って座るように見つめながら訴えた。  ルイーザ王女はしぶしぶバラド国王の隣に座り込むと、バラド国王は持ってきていたショールを彼女の後ろに敷く。 「おかしくない? 普通私の肩に掛けるものでしょ」  ルイーザ王女は呆れたような目でバラド国王を見る。バラド国王はルイーザ王女の態度に笑いながら、そのまま寝転がってしまった。  ルイーザ王女が目を丸くしてバラド国王を見下ろしていると、バラド国王はまたも彼女の腕を引く。 「こうしないと観れないから」  ブツクサ言いながらもルイーザ王女はバラド国王の敷いてくれたショールの上に頭を乗せた。  見上げた空には一面に輝く星空が広がっている。こんなにしっかりと夜空を眺めるのなんて子供の頃以来である。  ただ二人で静かに星空を観ているだけ。  夜が深々(しんしん)と更けて行き、静寂の中で草の香りを感じ、夜風が吹けば、この身を焦がすあの香りが鼻を掠める。 「星の寿命は桁違いだ」 「そう……」  バラド国王が口を開き出した。 「人間百年くらい生きると死にたくなってくるのに、星は大変だよな」 「百年生きる人間がアウルム国以外にまずいないわよ」  バラド国王は楽しそうに笑っている。 「夜はルイ国王の部屋で付き添いながら眠り、昼は弟王子たちの世話を焼く。お前の時間はどこにあるんだ?」 「その全てが私の時間よ」 「お前らしいな」  バラド国王は顔を横に向けて、今度は笑う事なく真剣な眼差しでルイーザ王女を見つめる。ルイーザ王女にもその真剣さが伝染し、真面目な表情へと変わる。 「ルイスが心配で、まだ王宮から離れられないと結婚を先延ばしていたら、世間ではいつの間にか行き遅れの王女と呼ばれていたわ。父も倒れ、今度はアロイスを支える王妃が現れるまでは離れられないと思っていたけど、それ以前にもうこの年齢でそんなレッテルがあれば、国に実りある政略結婚なんて私には期待できない」  バラド国王はただ静かに彼女の話を真摯に聞いて受け止めていた。 「王女が結婚で国を豊かに出来ないのなら、私の残された価値は国王と弟王子達を支える事だけ。行き遅れた王女が果たせる義務を果たしているだけなのよ」 「そうか……」  バラド国王の一言が、ルイーザ王女の心にぽっかりと穴を開ける。そんな一言で終わらされたら、余計惨めになってしまう……。  ルイーザ王女は上体を起こしてバラド国王を見下ろして睨みつけた。完全に頭に血が昇っている。 「そうよ! こんなところにまで連れてきて、寝ころばせて、何なのその態度? 貴方に本心を話して後悔したわ! ここまで言ったから最後まで言ってやるんだから! 私だって、私だって本当はね——」  ルイーザ王女ははたと我に返り、バラド国王から視線を外した。  急に黙ったルイーザ王女を見て、バラド国王は静かに声を出す。 「終わりか?」  ルイーザ王女は下唇を強く噛み締めている。  バラド国王の方へ振り向いた彼女の目には涙が浮かんでいた。  そしてかすれるような声を必死に振り絞った。 「私だって……誰かに受け止めて貰いたい時もある……」  バラド国王は起き上がり、ルイーザ王女の顎を掴む。 「わかった。もう喋るな」  バラド国王は口を塞ぐように、ルイーザ王女の唇にキスをした。  いつも感じていたバラド国王の香りが、今は濃厚にルイーザ王女の身体に纏わりつく。  いつも視線が合うだけで身体が熱くなり、なるべく彼から目を逸らしていた。表情で自分の中に湧き上がる欲が読み取られないよう、必死に顔を顰めていた。  あれだけバラドに対するこの(たぎ)る想いを必死に抑えていたのに……。  この香りが身体の中にまで沁み込んできて、今はとても抗えない。  唇がわずかに離れた隙に、理性を取り戻そうと声を出した。 「発情期?」 「二百歳のじーさんだ。思春期の男と一緒にするな」  もう一度キスをしてこようと顔を近づけたバラド国王の唇に、ルイーザ王女は手のひらをあてて制止した。 「私は……側室や愛人を持つような男には嫁がない」 「そうか。それは良かった。俺には側室も愛人もいない」 「え……」  バラド国王はルイーザ王女の手を掴み、彼女を見つめながら手のひらにキスをして、それからその手を掴んだまま引き下ろした。 「だから、黙ってろ」  そしてルイーザ王女はまた口を塞がれた。
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