26. 責務と愛

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 舞踏会当日、王宮は朝から準備に追われていた。  ルイーザ王女はホスト側の女主人の仕事は何かを手取り足取り教えてくれる。 「いいですか、シルビア嬢。王太子妃となったら貴方がお茶会や舞踏会など、ゲストをお招きする催しは全て取り仕切らなければなりません。ああ、そこ、それじゃないわ」  ルイーザ王女は私に説明しながらも、使用人にも装飾の位置を変えるように指示を出す。 「それと、ゲストを招くに相応しい服装も大切です。こちらへ」  ルイーザ王女に案内されて、とある一室に入ると、そこにはスカートのボリュームが抑えられた、上品で大人びた艶のあるコーラルピンクのドレスが用意されていた。 「王太子殿下自ら選んだドレスです。急な舞踏会なのでフルオーダードレスではないけど、殿下が色とデザインが貴方にぴったりだといって決めたものです。サイズはちゃんとあなたの身体に合わせています。さあ、支度をして」  私はその上品なピンクの色に目も心も奪われた。このピンクなら私の褐色の肌でも着こなせる。  女中達に手伝われてドレスに着替え、髪を結い、アロイスからの贈り物だと言う宝石を身につける。こんな高価な品々を身に着け、何も返せるものが私には何も無くて歯痒い。でも、アロイスのあの多忙の中、わざわざ私に選んでくれていたという喜びもとても大きかった。  太陽が沈む頃、王宮に続々と馬車が到着し、着飾った貴族達が玄関ホールへと向かっていく。王宮での舞踏会は貴族の邸宅で行われるものよりも価値があり、皆浮足立った様子で入って行く。  窓からその様子を見ていれば、正装したルイスが現れて馬車に近づいて行った。中からは予想通りラヴィニアが嬉しそうに降りてきた。彼女のドレスは私とは対照的な、甘く可愛らしいピンク色で、ふんだんに使われたレースと、スカートのボリュームで華やかさを演出していた。  扉がノックされたので返事をすると、開かれた扉には正装姿のアロイスが立っていた。    彼の姿に息を呑んでしまい、思うように声が出ない。  ルイスよりも高位のアロイスの正装姿は、装飾品も多く、国王と王太子にのみ着用が許される王家のロイヤルブルーのサッシュを肩から反対側の腰へと斜めにかけていた。彼の着用している白いジャケットには、ロイヤルブルーのパンツが良く映えており、アロイスの容姿にその色合いと服装は、彼の魅力を存分に引き立てていた。 「「……とても良く似合う……」」  二人で同じセリフを同時に口にした。  アロイスの顔は何だか赤面しているようにも見えるが、アロイスがそうなら私は茹でダコのように見えているかもしれない。きっとお互い考えている事は同じ。二人で目を合わせながら、シンクロしたように笑ってしまった。 「シルビア、よく似合ってる。誰にも見せたくないくらいだ」 「え? 見せたくない? 恥ずかしいですか??」  私は急に不安になってきた。  アロイスは私に近づくと片膝をついて跪き、私の手を取りその甲にキスをした。 「誰かに君の姿を見られたら、奪いにくる奴が現れるかもしれない」 「いるわけないじゃないですか。ウェリントンの娘なんか」  とても良い雰囲気だったが、時間がきているようでユルゲンが扉を開けたままソワソワしている。 「あの、アロイス、もう行かないと」 「ああ、そうだな」  アロイスの差し出す腕に手を添え、エスコートをして貰いながら舞踏会の行われる広間(サルーン)に向かう。 「どうしよう……舞踏会なんて、しかもアロイスと一緒に参加だなんて……」 「嫌?」  私はアロイスを見て大きく首を横に振る。  広間(サルーン)に繋がる階段の手前まで歩みを進めると、アロイスは止まってこちらに振り向いた。 「シルビア、私が君に愛してると言ったらどうする?」 「どうされました? 急に」 「君は私の妃になってくれる気持ちがまだあるかな?」 「もちろんです」 「私を愛してくれるか?」 「も……もちろんです」 「ありがとう」  婚約も既にしているのに、アロイスはなぜ急に確認を取るのだろう……。 「シルビア、私の妃になるという事は、国も愛さなくてはいけない」 「国?」 「私には王家に生まれた時から責任がある。国民の為に最善を尽くさなければならない。きっとシルビアに寂しい思いや辛い思いををさせる事もあるだろう。表情だって険しくて、君の話を十分聞いてあげられないかもしれない」  それは少し思い当たる節があり、私はふふっと小さく笑ってしまった。アロイスも気にしていたのだろうか。そう思うと何だか彼が可愛くて愛おしく思えた。 「そんな苦労を君に伝えておきながら、我儘だと思うが、シルビアにはずっと私のそばに居て欲しい」  王太子殿下の姿の時はとても重圧があるだろう。アロイスが出す答えひとつで国民の生活は変わり、戦争も起きかねない。私がここにくるまでの人生で考えもしなかった貴族の務め。彼は生まれた時から王太子としての大きな責務を受け止め、果たそうと必死に生きてきた。  彼の妃として共に歩み支えたい。彼の心に余裕がなくなる時は、悲しむのではなく、彼が寄りかかれる存在になりたい。  彼が愛するこの国を一緒に愛したい。 「私も、アロイスのおそばに居たいです。どんな苦労があろうと、あなたとなら幸せを見つけられる」  私はこの想いが伝わる様に祈りながらアロイスの目を見た。彼の目は少し潤んでいるようにも見える。 「では、シルビア、ここから先は仮面を被るんだ。弱みをみせてはいけない。姉上ほど強くならなくてもいいが、背筋を伸ばし、自信を持って、貴族や国民の上に立つんだ。強い君主であってこそ国民は未来を信じ、安心して生活ができる。君は王太子の婚約者で、次期国王妃。そして……」 「そして?」  アロイスは咳ばらいをして視線を外しながら答える。 「そして……いつか国王の母になる」  お互いに顔を赤くし、二人で前を向いた。 「行こう」  アロイスの声で、広間(サルーン)に続く階段を一歩一歩降りて行く。  賑やかだった広間(サルーン)の空気が一瞬にして変わり、シンッとした。そこにいたすべての人間が一斉に階段に注目する。  アロイスが私をアテンドしながら広間(サルーン)中央まで向かう。私達が前を進めば、まるでさざ波の動きの様に人々は道を開けて行く。彼らの間を通り抜ける際、何とも言えない熱視線を至る所から感じた。背筋を伸ばし、自信を持とうにも、緊張でどうしても身体が強張る。  中央まで来ると、アロイスは身体の向きを私に向け、お辞儀をしてから、私の手を取りダンスの姿勢をとった。  私の手の震えを感じ取っていたであろうアロイスは、私に優しい眼差しを向けてこう言ってくれた。 「私がいる。大丈夫だ」  背の高くなったアロイスを見上げて心が揺さぶられた。あの日の草陰で出会った憧れの少年が、今大人の男性の姿となって目の前に立ち、あの日と同じ言葉で私を包んでくれている。  曲が流れ始めダンスが始まると、あちこちから女性の溜息が聞こえてくる。アロイスを見つめる令嬢たちの口は、半開きでだらしなくなっているのに、誰もそれに気を止めないほど夢中になってアロイスを見ている。 「ほら、子息達が君に見惚れている」 「え?」  アロイスが踊りながら私に耳打ちした。アロイスは子息達の姿を見せるかのように、私をくるりと回す。 「見えた?」 「いえ、見えなかったです」  私にはどちらかというとアロイスしか見えていない令嬢たちの姿しか目に入らなかった。  アロイスはクスクス笑いながらステップを踏み、最後に私を抱き寄せて曲が終わる。ホールは拍手喝采である。  アロイスの低い声が耳元で囁かれた。 「嫉妬でどうにかなってしまうかも」  そう言うと、アロイスは私を抱きしめる腕と手の力をより強くした。 「愛してる、シルビア」  アロイスから離れ、ダンスの終わりのお辞儀をした時には、私の顔はきっと真っ赤だっただろう。  アロイスの表情が王太子殿下に切り替わり、そのよく通る声を広間(サルーン)に響かせた。 「舞踏会を開始する前に、任命の儀礼を執り行いたいと思う」  ユルゲンがトレーに乗せた徽章(きしょう)を持ってアロイスの左斜め後ろに立った。アロイスの右隣には大司教が聖書を持って立つ。 「ウェリントン子爵家、ジルベール・ウェリントン。前へ」  人波をかき分けて兄が前に進み出た。服装は丈の合っていない燕尾服。父のお下がりで、兄には短い。その装いに貴族たちの嘲笑が聞こえたのは言うまでもない。  兄がアロイスの前で跪くと、大司教が兄に聖書を差し出す。兄は聖書に手を乗せて、君主への誓いを述べた。 「アウルム国へ行き、鉱山で起こっている問題の解決糸口を見つけるように」 「謹んで拝命いたします」  ユルゲンがアロイスに徽章(きしょう)を乗せたトレーを差し出し、アロイスの合図でジルベールは立ち上がる。 「オーバーランドの正式な使者としての徽章を授ける」  アロイスが兄の胸元へ徽章をつけると、兄は恭しくアロイスに頭を下げた。 「アウルムなんて国に左遷か?」 「鉱山の問題だなんて……お気の毒に」 「解決できるわけがない」 「でも解決したら?」 「その時は認めてやる」 「解決はありえないって言ってるようなものだろ」  あちこちから聞こえてくる心無い声に耳を塞ぎたくなった。兄を見ると、当事者はまったく気にした様子は無く、私に力強い眼差しを向けて頷いていた。 「さあ、舞踏会の始まりだ。曲を」  演奏が始まり、舞踏会が開始した。    アロイスに手を引かれ歩き出す時に、視界にマーレーン伯爵が入った。  彼の不敵な笑みを見て、ざわざわと心に不穏な影が広がり始めた……。
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