28. 王太子の仮初めの婚約者

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28. 王太子の仮初めの婚約者

 マーレーン伯爵からの提案にアロイスは理解できず、戸惑っている。 「何を言い出すんだ、お前は? そんな見境の無い話ないだろ」  マーレーン伯爵はアロイス王太子の勢いに陰りが出たのを感じ取り、調子を上げてきた。 「殿下はラヴィニアとご婚約ください。そして、シルビアはルイス王子と。それであれば、養子縁組は白紙にせず、持参金も払いましょう。彼女の親族に伯爵位以上の者はこの私しかいない。私しか彼女が王家と結婚できる資格を与えられる者はいない。あなたがこの条件を飲めば、シルビアは生涯恵まれた環境で生活が出来、かつ、あなたもシルビアのそばにいられる最高の条件です」 「お前、腐ってるな」  マーレーン伯爵はアロイスの言葉に苦々しい表情を見せて鼻で笑った。 「小僧には世の中がまだわかっていない。一族の長は時には冷酷にならなくてはいけないもの。さあ、どうする? シルビアを劣悪な修道院に入れるか、あなたの信頼するルイス王子の元に嫁がせるか」  アロイスも、ルイスも、追い詰められた表情をしている。こんな事決断出来るわけがない。二人には私を修道院に行かせる判断は出来ないだろう。アロイスには背負う大きな責務がある。私を切り捨てれば、マーレーン伯爵に脅されることなく、いくらでも婚約者に相応しい令嬢が現れるだろう。    私が決断しなければ……。  そう思って声を上げようとした時、扉が開いた。そこにはルイーザ王女とバラド国王がおり、ユルゲンを従えていた。 「アロイス、ラヴィニア嬢と婚約を。ルイス、あなたはシルビア嬢と婚約なさい。ユルゲン、すぐに婚約破棄の書類と、婚約誓約書、それと証人となる大司教をお呼びして」 「姉上! 何を——」 「これが今選択できる最善の選択です。それともシルビア嬢に惨めな余生を送らせる? その剣も収めなさい。他の貴族が見たらあなたの評判を下げる」  ルイーザ王女はいつになく険しい顔つきだった。  ユルゲンと大司教が部屋に入ってきて、すぐに婚約破棄と、新たな婚約が成立した。マーレーン伯爵が満足そうなのは当たり前だが、ラヴィニアまでも大喜びであった。 「ラヴィニア嬢……あなたはルイス王子に一目惚れをしたのではなかったかしら……?」  私は思わず聞いてしまった。 「え? ああ、ええ、ルイス王子は素敵よ。でもまさかアロイス王太子殿下があんなに麗しい方だったなんて……」  そう言って頬を染めてアロイスを見つめるラヴィニアに呆れてしまった。まさか、広間(サルーン)でルイスにアテンドされながら、こんな表情や発言を直接ルイスにしていたのではないかと思うと、ふつふつと怒りが湧いた。 「まさかルイス王子にそれを言ってませんよね?」 「え? さあ、どうだったかしら? 私だってルイス王子と婚約できなかったのは残念よ。でもこれが貴族の結婚なんだから仕方ないでしょ? 自分がアロイス王太子殿下と結婚出来ないからって、私にあたらないでくれる」  そうだ。この子はこういう子だ。まともに話してもこちらの心が掻き乱されて、嫌な思いをするだけ。  アロイスに目を向けると、額に手をあててうなだれていた。そこにルイーザ王女が近づき、声を掛ける。 「アロイス、話があります。来なさい」 「公では姉であろうと王太子殿下だ」  アロイスが珍しくルイーザ王女に牙を向けて反抗的になっている。だが、結局ルイーザ王女とバラド国王に違う部屋に連れて行かれてしまった。  マーレーン伯爵もラヴィニアを連れて部屋を出て行こうとする。だがその前に私の元まで上機嫌でやって来た。 「ルイス王子と結婚して、女児を沢山産め」  開口一番に放たれた言葉に唖然とする。 「……何をおっしゃってるかが解かりかねます」 「王族の娘は政治取引に使える。お前をルイス王子と婚約させたのはそのためだ。売れる娘を産め」 「あなたは女を何だと思っているんですか」  マーレーン伯爵の次から次へと出される発言に、吐き気を催すほどの嫌悪感に苛まれた。 「お前はそもそも王太子の仮初めの婚約者だ。王太子が成長して子を成せるようになったなら、お前の婚約者としての出番は終わりだろ」  ラヴィニアが横でくすりと笑ったのが聞こえた。 「ちゃんとお前の目的も達成できるよう、代わりにルイス王子と婚約させてやったじゃないか。そんな目で見てないで感謝するべきだ」  そう、この婚約は当初は私も打算的な考えで承諾している。ウェリントン家を再興するため。  マーレーン伯爵の口車に乗った時点で、利用されるのはわかっていた。でも、私はアロイスを愛してしまったし、伯爵に抗う日が来るとすれば結婚後だと思っていた。  アロイスとなら乗り越えられる。伯爵にだって対抗出来る。そう信じていたのに……その前に壊されてしまうなんて。  黙る私を置いたまま、マーレーン伯爵とラヴィニアは部屋から出て行った。  私の肩に優しい温もりを感じた。振り返れば、ルイスが私の肩に手を乗せて、苦しそうに微笑んでいた。 「兄上と君に結婚して欲しかった。本当だ。その為にもラヴィニアとの婚約も進めようとしてた……」 「ええ、ルイス。わかってる。本当にありがとう」  ルイスは私を抱きしめて、私の肩で涙を流している。 「ルイス? 泣かないで」 「ごめん。しばらくこのままで……」  私はルイスの背中をさすってあげる。 「兄上が広間(サルーン)に現れた瞬間、ラヴィニアの関心は兄上にしかなかった。周りを見れば、あんなに私に手紙や姿絵を送ってきていた令嬢達が、皆完璧に成長した兄上を見て夢中になっていた。そして、その短い時間だけで、マーレーン伯爵に婚約前提だった付き合いの白紙を言い渡された。スペアの私の役割は終わったんだ……」 「ルイス……」 「こんな状況になって、真っ先に考えてあげるべきは君と兄上の気持ちなのに……自分の感情ばかりが湧きあがって、更に嫌になっている。本当に……私は……クズだ」  ラヴィニアとマーレーン伯爵がルイスに取った態度など容易に想像がつく。もし目の当たりにしていたら、私もアロイスも憤慨しただろう。元々傷つきやすいルイスには耐えがたかったはず。  私はしばらくルイスの背中をさすったり、優しく叩いてあげて落ち着かせる。何か気持ちが晴れる話題に変えようと、ルイスの大切な友人の事を聞いてみた。 「ルイス、そうだ、あなたの親友の話を聞かせて。いつか紹介してくれるって言っていたあの人」  ルイスは突然泣き止み、私の肩を握ったまま顔を上げた。 「アルタン! そうだ、今何時だ?」 「アルタン?」 「そう、彼女の名前がアルタン。今夜迎えに行く約束なんだ。しまった、すぐに行かないと」 「まって、ルイス。アルタン? その名前、ハイステップの人間なの?」 「そうだ。詳しくはあとで話すから、行かなきゃ」 「待って、私も行く」 「え?」 「連れて行って。紹介してくれる約束よ。それは今日がいい」 「あ、ああ……よし、わかった。急ごう」  私とルイスは急いで馬を走らせて王都の酒場へ向かって行った。ルイスはこの様子だと“アルタン”の名に気が付いていない。私の勘違いの可能性もある。だが、とにかく一緒に行って確認しなくては……。
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