38. シーズンの終わり

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38. シーズンの終わり

 挨拶をする二人にアロイス王太子は喜びを表現しようと強く抱きしめた。 「よく戻ってくれた!」 「アロイス、返事が出来なくて申し訳ありませんでした」 「いいんだシルビア。これを見ればどれだけ大変だったかわかる。戻って来てくれてありがとう」  ジルベールは今空を飛んでいた物体を指差して説明する。 「王太子殿下、これはアウルム国の気球に、改良した蒸気機関を取り付けて操縦可能にしました」  残りの気球船からバラド国王とゼキがやってきて、その更に後ろではギュネシュとスアトがぷかぷかと浮かぶ小さな球体を紐に繋いだものを沢山持って、こちらに歩いて来ていた。 「王太子! 彼らはやり遂げたぞ。炭鉱の排水は改良された蒸気機関でさらに効率がよくなり、しかもその仕組みを使ってアウルムの気球を操作出来るようにまでしてくれた」  バラド国王はそう言ってアロイス王太子の手を握る。 「本当に世話になった」  後ろにいたスアトが持っていた球体の紐をひとつアロイス王太子に渡す。王太子はその紐を受け取ると、紐の先の球体はぷかぷかと浮いて、空に向かって飛びたそうにしている。 「これは?」 「シルビア嬢の発案でブルーハンドとレッドハンドの力を合わせてみたら、水から酸素よりも軽い気体が取り出せることを発見したんです。それをこの風船につめています」  シルビアもアロイス王太子に話しかけた。 「これを科学で再現し、実用化できるように、お兄様はまたアウルム国へ戻って研究をしたいそうです」  アロイス王太子はシルビアを抱きしめ、ジルベールにも頷いてみせた。 「ウェリントン兄妹はいつも私を驚かせる」  アロイス王太子はシルビアから離れ、大きな声を上げる。 「ウェリントン子爵、子爵子息ジルベール、子爵令嬢シルビア、前に出るように」 「あの、アロイス、私は戸籍上はウェリントン子爵令嬢ではなく、マーレーン伯爵令嬢です」  アロイス王太子はシルビアに微笑みながら首を横に振った。 「君がいない間に養子縁組は解消されてる。だから、今はウェリントン家に戻って子爵令嬢だ」 「それでは、ルイスとは?」 「すでに婚約破棄となった」  シルビアはルイス王子との結婚はもちろん望んでいない。だが、ルイス王子との結婚が無くなったのなら、いよいよ王室との別れ、アロイス王太子との別れが近づいている事を意味する。そう思うと胸がズキンと痛んだ。  アロイス王太子の前にウェリントン一家が整列すると、王太子は声を張った。 「蒸気機関の発明により、炭鉱の問題を解決するだけでなく、アウルム国の気球を操作可能にまでした。この技術はオーバーランド王国も発展させるだろう。見事な功績だ」  ウェリントン一家が深々と頭を下げる。 「よって、その功績に見合うだけのものを贈る。まず、優秀な息子と娘を育てたウェリントン子爵には侯爵位を。そしてマーレーン伯爵領だった領地を与え、これをもってかの地はウェリントン領となり、元々のウェリントン領と併せて治めるように」  ウェリントン一家は一斉に顔を上げて王太子を見た。その表情は喜びよりも、信じられないといったものだった。 「次に、ジルベール・ウェリントンに男爵位を——」  アロイス王太子の話の途中でバラド国王が手を挙げた。 「恩恵を与えている最中すまない。ジルベールにはこれも付け足してくれ。彼にはアウルム国と今後も共同開発をして欲しい。その代わり、アウルムの純度の高い鉄や、アウルム産の特別な石炭の取引は全てジルベール・ウェリントンに独占権を持たせる、と」  アロイス王太子は笑った。 「それはいいな。では、ジルベールに権限を」  貴族の婦人達の目が光り出す。ジルベールは今となっては娘の結婚相手として最優良株。アウルム国との独占取引の権利があるだけではなく、いずれあの広大な元マーレーン領、今はウェリントン領となった領地を相続し、侯爵となるのだ。  誰かが拍手を始め、パチパチとその音が広がり、やがて貴族達からウェリントン家に大きな歓声と拍手が沸き上がった。 「あの空飛ぶ船の構造をもっと教えてくれ、ウェリントン!」 「アウルムでは鉱山に自ら赴かれたのですか? なんて勇ましいの」 「元マーレーン領の領地経営相談ならいつでも乗るぞ!!」  今までそっぽを向いていた貴族達が一斉にウェリントン一家を囃し立て、祭り上げ、今のうちにお近づきになろうと必死になっていた。  群がる貴族達に向かって、ユルゲンが叫んだ。 「ご静粛にっ!!」  ピタリと声は収まると、ユルゲンが貴族達に道を開けるように指示を出す。開かれていく人波の間を、アロイス王太子が歩き始めた。その姿に気が付いた貴族達はさらに広がって行く。  ちょうど貴族が円になってウェリントン家を囲む状態になり、アロイス王太子はウェリントン夫妻の前で片膝をついて跪いた。見守る貴族達は驚きの声を上げ、ウェリントン夫妻も慌てて王太子に立ってもらうよう必死に促す。 「ウェリントン侯爵、並びに侯爵夫人に許しを乞いたい。どうか侯爵夫妻のご令嬢、シルビア・ウェリントン侯爵令嬢を我が妻に迎え入れる許可を頂けないか」 「しかし、我が家にはその資格は……」  ルイーザ王女も円の中に進み出て、ウェリントン侯爵に答えた。 「すでに侯爵位を得て、資産も獲得しました。シルビア嬢自身にはアロイスと一生を共に出来る深い愛も、国を動かせるだけの強い責任感もあります。十分すぎる資格をお持ちですよ」  ウェリントン侯爵は家族の方へ身体を向けた。そしてその腕を広げると、妻も、ジルベールもシルビアもその胸に飛び込んで行き、家族四人で抱き合った。そしてウェリントン侯爵はアロイス王太子の前で自身も跪き、結婚の許可を出す。 「アロイス王太子殿下。どうぞ我が娘を……」  その後の言葉は声が詰まって出なかった。 「侯爵、心から感謝する」  アロイス王太子は立ち上がると、今度はシルビアの前で跪いた。そして左手を取り、薬指に指輪をはめる。 「シルビア・ウェリントン侯爵令嬢。私と結婚して欲しい」  シルビアが左手の薬指をみると、美しいアイリスの花がデザインされた指輪だった。そして再びアロイスを見る。アロイスの瞳は強い意志と愛情が感じられた。 「シルビア、君を生涯大切にする」 「アロイス、私もあなたを生涯大切にします」  再び貴族達から色づく溜息や歓声が上がった。  全てが大団円を迎え、貴族達もそれぞれの領地へと戻って行く。  今年の社交シーズンが終わった。  静かになった王宮の国王の部屋に、ルイーザ王女、バラド国王、アロイス王太子、シルビア、ルイス王子、そしてアルタンが集まり、意識のない国王を見ている。  ルイーザ王女は国王のベッドの横で膝をつき、毎晩しているように国王に話しかける。 「国王陛下……。ねえ、お父様? 聞いてくださる? 今日は素晴らしい一日でしたの。お父様の後継者は国の腐敗を食い止め、有能な貴族を見出しました。そして今日一番のご報告は、アロイスとルイスの結婚が決まったのです」  ルイーザ王女は熱心に話しかけるが、いつも通り何の反応も示さない。 「お父様……喜んでくださっているわよね?」  ルイーザ王女は国王が倒れてから、毎晩欠かさず声を掛け続けていた。もしかしたら目覚めるかもと思いながら声を掛けるが、結局何の反応も返ってこない日々をずっと繰り返していた。それがどれだけ彼女の心をすり減らしていたか……その場にいる全員は胸が締め付けられていた。  バラド国王がルイーザ王女に近づき、隣で一緒に膝をつくと、優しく肩を抱き寄せた。  そしてバラド国王はルイ国王に語り掛ける。 「ルイ=アロイシウス国王、このアウルム国バラドより謹んでお願い申し上げる」 「バラド?」  急にルイ国王に願い始めたバラド国王にルイーザ王女は首を傾げて彼を見た。彼は真剣な表情で、まるでルイ国王が起きているかのように言葉を続けた。 「あなたの大切な王女、ルイーザを我が妻に迎えたい。命が尽きるまで彼女を大切にし、愛し抜くと誓おう。オーバーランドにも頻繁に訪れる。だから、ルイーザをアウルムに連れて行くことを許してほしい」 「バラド!」  ルイーザ王女が驚いて立ち上がった時、ずっと心待ちにしていた声が聞こえた。 「……許す」  その場にいる全員が息を呑んだ。今、確かにルイ国王は返事をした。  ルイーザ王女が急いでルイ国王の枕元で声を掛ける。 「お父様! 目が覚めたの? お父様!!」  ルイ国王はゆっくりと目を開き、ルイーザへと視線を向けた。 「毎晩聞かせてくれるルイーザの話が嬉しかった。私も、弟達も、もう大丈夫だから、幸せになりなさい」  ルイーザ王女は自分の口を片手で強く握るように塞ぐ。こんなに大勢の前で泣くなど、王女として、弟達の姉として絶対に出来ない。熱くなる目頭と喉元に必死に抗った。  そんな彼女の手をバラド国王が強く引いて無理矢理抱きしめた。ルイーザ王女の顔はバラド国王の胸元にある。 「誰もお前の顔を見ていない。だから思い切り泣け」  ルイーザ王女は声を殺して涙を流した。  ——ルイ国王はこの日、息を引き取った。
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