4.懐かしの王太子殿下の姿

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 黙りこくる私に、王太子は呆れたように一度大きく溜息をついてから口を開く。 「現国王は病に伏していて、もう長くはないだろう。次の国王は私だが、見ての通り私では後継ぎは望めない。弟がいるから問題はないが、王室のしきたりで弟は兄より先に結婚が出来ない。ルイスにしか世継が望めない状況であれば、私がさっさと結婚してルイスの結婚を少しでも早め、世継を確保しなくてはならない。重要なのはルイスの結婚相手であって、私の相手は、必要最低限の王室基準を満たしており、さっさと結婚出来る相手なら誰でも良いのだ。……まあ、ご覧の通り決まらないのだが」  王太子は立ち上がり、高座を降りて私の元まで歩み寄って来た。私は急いで跪き、王太子に頭を下げた。 「お前がこの部屋に入ってきて私の姿を見た時の表情。ああ、お前もかと思ったよ」 「え……」  王太子の目は諦めなのか、寂しさなのか、どこか虚ろだった。 「わざわざ伯爵家の養女にまでなったのに、相手が私で悪かった。お前の方から辞退を申し出れば、傷も入らず他の相手を探せるだろう」  王太子はそう言うと、最後に優しく私の頭を撫でてくれた。その懐かしい手つきに、一気に幼かったあの日の温もりを思い出す。  彼を見上げれば、十年前のあの姿そのままであり、なのになぜか私の心も十年前のあの時のように熱くなり始めた。  高座の席に戻ろうと背中を向けた王太子の手を、私はおもわず握ってしまった。もちろん王太子は驚いてこちらに振り向く。 「殿下、もし私でよろしければ、どうぞ妃にしてください」 「お前……よく考えろ。世継の産めない王妃は惨めだぞ。それに、ルイスの妃に男児が生まれれば、お前は益々立場を弱くする。どの令嬢もそれをわかってるから辞退して、上手い言い訳を並べてルイスの方との縁談を望んでくる」 「殿下、私は元々貴族から爪弾きにされているウェリントン子爵家の娘。この肌の色もあって、惨めな扱いなど今さらです。殿下との縁談が無くなれば修道院に行くのみ。こんな私でよければ、どうか妃に」 「……私に対する同情から言ってるのか?」 「同情ではございません。私にも殿下との結婚は意味がございます」  王太子は鼻で笑う。 「お前はマーレーン伯爵の思惑で妃候補となった。あいつはお前を私にあてがい、実の娘にルイスと結婚させて継承権のある息子を産ませるつもりだろう。跡継ぎが生まれた時に、どこかの令嬢が私の妃であるよりも、お前が妃であった方が、後々私もろとも引きずり落とすか、傀儡にするのが簡単だと踏んでいる。この結婚でお前は利用される。それでも良いのか?」  私は片手で掴んでいた王太子の手を、もう片方の手も添えてしっかりと両手で握り直した。 「殿下、私はしぶといです。簡単には引きずり落とされませんし、伯爵の傀儡になるのもまっぴらです」  王太子は私を見極めようとしていた。その表情は少年ではなく、達観した人間の表情だった。  王太子の視線は私の手に向けられ、僅かに眉を顰めたように見える。  それからゆっくりと私の手をほどき、何も言わずに背中を向けて高座に戻った。そして壁についたレバーを引いて呼び鈴を鳴らしてから玉座に座る。ほどなくして扉が開き、ルイーザ王女が最初に部屋の中に戻り、続いて他の人々も部屋の中に戻って来た。 「姉上、婚約誓約書の準備をお願いいたします」 「マーレーン伯爵令嬢と婚約されるのですか?」 「そうです。それと、結婚までに彼女に王妃教育を徹底的にしていただきたく、彼女には婚約期間中から王宮で暮らして頂きます」  その場は騒然となり、臣下の中には急いで事を進めようとする王太子を止めようとする声もあったが、ルイス王子派の人間達の声が後押しとなり、すぐに婚約誓約書が準備され、サインをして婚約が成立した。 「これでやっとルイス王子殿下の争奪戦が本格的になる」 「ルイス王子殿下は王太子殿下を気遣って、婚約すら兄君より先にするのも躊躇っておられてたものな」  部屋のどこからかそういった会話も聞こえてきた。  伯爵は想定以上の速さで事が進み、大満足といった様子で私の耳元で囁いた。 「よくやった」  その場はお開きとなり、マーレーン伯爵は私を連れて帰ろうとすると、王太子が玉座から声を掛けてきた。 「シルビア嬢をどこに連れて行く気だ? 婚約成立と共に彼女は王宮で生活する事になっているのだぞ」  マーレーン伯爵も、私すらも驚いて目を丸くする。 「本日からですか?」  マーレーン伯爵の問いに王太子は鼻で笑った。 「当たり前だろ」  王太子殿下の勝ち誇る姿は、見たままの十二歳の少年の姿であった。
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