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 その人は、雨が降る中、夕焼けを背にたたずんでいた。  傘をささず、全身を雨に濡らして、ただ立っている。  水たまりを踏まないように下を見ながら歩いていた弓治(きゅうじ)がその男性に気づいたのは、足が視界に入った時だった。ぶつからないように顔を上げると、びしょ濡れの彼を目にして、目を丸くする。 「あの、大丈夫ですか?」  駆け寄って、傘を男性のほうへ掲げる。背が高く、百八十センチ後半くらいありそうだ。二十一歳の自分と同い年くらいに見えた。  男性が濡れなくなったかわりに、弓治の体に強い雨が当たった。  薄紫色の虚ろな目が、弓治に向く。表情をまったく浮かべていない顔は、息を呑むほど整っていた。  男性は何も答えなかった。ただじっと、弓治を見つめていた。  雨がさらに強くなる。周りに人の姿はなく、傘に当たる雨音だけが響いていた。 「良かったらこれ、使ってください」  男性の腕をとった弓治が、自分の傘の柄を握らせた。 「これくらいしかできなくて、すみません」  胸に痛みを感じながら、小さく頭を下げ、駆け出す。  全身に雨が当たる中、どこの誰ともわからない男性の悲しみが、弓治の胸を引っ掻いていた。   ◇  アパートへ帰った弓治が、自分の部屋の扉を開けようとした瞬間、隣の部屋の扉が開いた。  目の下にクマを作った青年と目が合う。相手の顔に驚きが広がった。 「お前……何でそんなにずぶ濡れなんだよ? 今日、朝からずっと雨なのに、傘持っていかなかったのか?」  彼の名前はケミーといった。魔法大学の学生で、魔法結界学を専攻している。弓治にとって、この世界に来て初めてできた友人だった。  弓治は困ったように笑って、濡れた髪を触る。 「傘は持っていったんだけどさ、帰る途中で人にあげちゃったんだ」 「はあ? 人にあげた? そいつは傘持ってなかったのかよ」 「うん。雨の中、傘も持たずに立ってたから」 「それ、どう考えても不審人物だろ。普通、雨の中、突っ立ってるか?」 「不審な人には見えなかったよ。それに――喪服だったから」  先ほどの男性の姿が浮かぶ。彼が着ていたのは、黒い喪服だった。  あの人に何があって、なぜあそこに立っていたのかはわからない。けれど、先ほど触れた冷えた腕が、悲しみの重さを物語っていた。  少し黙ったケミーが、わざとらしくため息を吐き出す。 「弓治のそういう優しいところ、俺にはねえから尊敬してっけどさ。自分を犠牲にしてでも優しくするから、こっちはハラハラする。その優しさを、もうちょっと自分にも向けてくれ」  口ぶりは軽かったが、真剣な想いが滲んでいた。  心配をかけてしまったことに罪悪感を覚え、弓治は眉を下げた。 「心配かけて、ごめん。でも、俺は優しいわけじゃないよ。他人のことで勝手にくよくよしたり、苦しくなってるだけだ」  日本にいた頃から変わらない、自分の嫌いなところだ。先ほども、喪服姿でたたずむ彼を見て、勝手にいろいろなことを考えて、悲しみを想像してしまった。  本人の気持ちなんてわからないのに。 「それが優しいんだって。ここで議論したってしょうがないし、早く着替えて風呂入れ。後で風邪引いてないか確認しに来るからな」  ケミーが横を通って行く。  去っていく背中に、「ありがとう」と声をかけると、「いいから、早く部屋入れ」と返ってきた。  思わず笑みを浮かべながら、部屋へ入った。  ケミーだって充分優しいよ。
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