2人目 止命鍼師

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2人目 止命鍼師

 コータローが次に向かったのはチベットだった。海抜3600メートルの高所にある首都ラサから車で約2日。荒涼とした大地が広がる村に、その老人は住んでいた。 「こんにちは。『止命鍼師』っていうのはあんたのことかい?」  レンガを積んで作られた粗末な家の庭で日向ぼっこをしている老人に声を掛ける。  ぼさぼさの髭、浅黒い肌。節くれだった指。だがその殺気は只事ではない。 「自分で名乗った覚えはないが、他人が儂をそう呼んでいるのは知っている」  庭に置かれた小さな椅子に腰掛けたまま、老人が答えた。 「あんたの力を借りたい。鍼師として世界最高峰の腕をだ」  コータローの要望に老人は首を横へ振った。 「買いかぶりだ。見ろ、こんな田舎住まいの老人に何ができようか」 「今はな。だがその昔は有名大学で名の知れた鍼灸医学の権威だったろうが」  それは間違いない事実。だがその業績が華々しく語られることはなかった。何故なら。 「儂が研究したのは止命の鍼よ。つまるところ『殺しの術』であって、活命の技に非ず」 「聞いている。現代医学で治療の見込みがない患者を安楽死させていたとか」  無論それらは合法の範囲ではないが。 「人道という観点から言えば……」 「違う」  老人は一言のもとにこれを否定してみせた。 「儂は単に鍼の終点を探求したかったのだよ。どうすれば人は死ぬのか。経絡とは如何なる効果を持つものなのか。その真髄と限界を知るためには殺すしかないと信じた。だから安楽死を求める患者たちを殺してまわった」  隙間だらけの家に乾いた風が吹き抜ける。外では放牧を待つ羊たちの鳴き声がしていた。 「当局がよく黙っていたものだな。その手の犯罪にはうるさいんじゃあないのかい?」 「ふむ、殺したからこそ得られる成果があったからな。儂は自身を紛うことなき殺人鬼だと自覚しとるが、それによって鍼の世界を10年いや20年は前に進めたと自負もしておる」  じろりと睨み上げる目付きにその人生とプライドが透けて見える。 「その力と研究成果を試す絶好の機会があるとしたら、着いてくるかい? 無論『人殺し』だ。ただ、簡単には死なない相手でね」  コータローの問いかけに、鍼師は眉をひそめた。 「鍼の限界を試せる相手なのか?」 「『リビング・ゾンビ』と呼ばれる化物だ。あらゆる怪我を生き延びてきたという。極限まで研いだ鍼を山ほど準備しておくといい」  コータローが分厚い手袋を脱いで素手を差し出すと、老いた鍼師はこれをしっかりと握り返した。 「……儂の失望はお前の命をもって贖うことになるぞ。覚悟しておくとよい」
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