5人目 死香婦人

1/1
前へ
/20ページ
次へ

5人目 死香婦人

 コータローの『次の目的地』へは日本の南極観測船に同乗することになった。メルボルンから氷の海へと出港していく。  最近は温暖化の影響からなのか「これでも暖かくなった方」という南極昭和基地に辿り着いたときには、コータローは寒さと船酔いですっかり疲れ果てていた。  外は凍てつく風が雪の粒とともに吹き荒れている。 「くそっ! 何でこんな地球の果てまでこなきゃならんのだ」  雪上車の後部座席で独り呟く。  口からは文句しか出ないが、それは仕方のないことなのだ。何しろ『目的の人物』は昭和基地から更に1キロ離れた地点で単独生活をしているのだから。もう、何十年もそうしていると聞く。  その、理由は。 「そろそろ準備をお願いします。防毒マスクと対ウィルス防護服の着用を。マスキンングテープも抜かりなく」 「……分かってるよ。10回は聞いたからな」  そう言い返すが、だからと言って油断なぞ1ミリたりとも許される相手でないことは重々承知している。  やがて雪上車はドーム型の建物の傍で停止し、完全装備のコータローが1人で向かっていく。同行者がいないのは何かあったときに他の人間を巻き込まないためだ。 「ドアを開けてくれ。メールで連絡した者だ」  鉄扉に付けられたインターホンに話かけると、ロックが重い音を立てて開いた。 「入るぞ」  覚悟の上で足を踏み入れ、事前に注意された通りにすぐドアを閉めたその瞬間。 「うぅ、寒みぃ!」  思わず声が出る。夏とは言え南極だから外気温はマイナス10℃程度ほどだが、そんな冷たさではない。まるで冷凍庫だ。何重にも着込んだ防寒着ですら貫くような。 「『寒い』のは仕方ありませんことよ」  ガラス瓶がズラリと並ぶ広い部屋の端っこで、デスクに向かったまま作業している人間がいる。そう『5人目』だ。 「何しろこの部屋はマイナス80℃。そこまで冷やさないとアタシの持つ66種の可愛いウィルスや病原菌が活性化して南極を汚染してしまうものですから」  ふふ……と笑いながら椅子を廻して女がコータローの方へと向き直る。7色に塗り分けられた長髪。蛍光色に染められたサディスティックな研究服。毒々しいネイル。聞いていたままの姿だ。 「あ、あんたが『死香婦人』か?」  防毒マスクの内側が息で曇る。 「そういうあだ名で呼ばれてはいますわね。アタシはその昔、大学時代に病原菌の魅力に取り憑かれましたの。何で人間は彼らに侵されてしまうのか。何故耐性がないのか。その生存戦略は何なのか」  そしてある日、事件はおきた。 「誰かが換気装置の操作を誤って、研究室にあった全ての病原菌が室内に漏れ……中にいた全員が死んだと聞いたが」 「ええ。アタシ一人を除いてね。不思議でしょ? 何故アタシは死ななかったのか。それを知るために、こうして一人で研究しているの」 「あんたにとってを知っている。ドクター・イミューニー(免疫) と言ってな。あらゆる病原菌に免疫があるらしい。是非とも『解析』してくれればと思うんだがね」  コータローの誘いに死香婦人は「それは楽しみなこと」と嗤った。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加