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2 これは義務です
教室に戻るまでに『洗礼』を見かけなくてよかった、とニコは座席に着くと、ちょうどチャイムが鳴って教師が入ってきた。
基本、教師は『洗礼』の対象になるのを避けるため、見た目が屈強な魔族が選ばれることが多い。それでも、強い魔力を持った生徒がいれば関係ないけれど。
力の差は魔力の差。筋力がなくても魔力が高ければ、この魔界でも生きていける。そしてそれは、魔界で権力を持つことと同義語だった。
授業を受けながら、ニコは辺りを見渡す。生徒たちはみな、美しい顔立ちをしていて、他人を騙すのに有利な容姿だ。魔力が高いほど美しいし、権力もある。つまり、学校に通える生徒はそれなりに地位がある、貴族でもあるのだ。
赤髪、銀髪、角があるもの、羽根が生えたもの……見た目と年齢は多種多様だけれど、黒髪黒目はニコしかいない。それはニコの希少性と魔力の高さを示していた。
ちなみに魔力が高い魔族から産まれた子供も、魔力が高いとは限らない。ニコには兄弟はいないけれど、父の兄弟は六十五人もいる。しかしそれだけの王族がいながらも、ニコが王位継承権二位というのは、魔界を統治できるほど魔力が飛び抜けて高い王族がいない、ということなのだ。ちなみに王位継承権一位は、ニコの父親である。
「今日は、この魔界の仕組みについて説明する」
教師は教科書のページ数を示しながら、淡々と授業を進めていた。
「ではニコ、このページの朗読を」
「はい」
ニコは指名されると立ち上がり、指示された箇所を読み上げる。
「魔界は東西南北・中央と大きく五つの領地に分かれており、魔王が定める六十六の領主と、中央の魔王政権の封建制度を……」
ニコがそこまで読んだ時、突然派手な音を立てて教室を横切るものがあった。それは目にも留まらぬ速さで窓ガラスを割り、外へと飛び出していく。
「……あーあー、また派手にやってんなー」
外に飛び出したものを一瞥し、教師はまた教科書に視線を落とした。そのくらい、『洗礼』は日常茶飯事なのだ。
ニコは立ち上がる。あの生徒たちを止めなければ。
「先生! 僕には止める義務があります! 授業を抜け出す許可をください!」
ニコはビシッと、天を貫くほど右手を真っ直ぐ挙げると、教師は興味無さそうに「好きにしろー」と呟いている。ここは魔王一族の権力が役に立った。ニコを変な目で見る魔族はいるものの、文句を言う魔族はいない。
「ありがとうございます!」
そう言って、ニコは割れた窓ガラスから飛び降りる。ちなみにここは三階。でも学校に通う魔族なら、難なく降りられる高さだ。
「止めなさい!!」
ニコは静かに校庭に着地すると、そのまま走って、もつれ合いながら殴り合う二人に追いつく。
そこでニコは少しおかしいことに気が付いた。『洗礼』は、力の顕示欲を満たす為に行われることが多い。なので大抵相手は手も足も出せず、されるがままやられていることが多く、やり返すことなく絶命し放置されるのが通常だ。
なのに目の前の二人は、互いに殴り合っている。一方は緑の髪に金色の瞳の男、もう一方はグレーブルーの長い髪に黒の太い二本の角が生えている男だ。彼は組み敷いた緑髪の男を握った拳で思い切り殴る。
「ほら、俺を倒しに来たんだろ!? どうした!?」
マウントポジションを取って一方的に暴力を振るい始めた長髪の男は、同じ色の瞳を爛々と輝かせていた。ニコは二人の様子を眺めてしまっていたことに気付き、ハッとして長髪の男の腕を掴む。
「止めなさい! それ以上やると……!」
グッと掴んだ腕に力を込めた。長髪の男はビクともしない腕に、驚いたような表情をしてニコを見る。
よく見ると、角の先も髪と同じく青いようだ。切れ長の目に真っ直ぐ伸びた鼻筋、少し開いた口からは牙が覗いている。尖った耳には沢山のピアスが付いていたけれど、それでもこの男のうつくしさは変わらなかった。かなりの美形で、この男の魔力が高いことを示している。
「何だ? 邪魔すんじゃねぇ」
低い声。その甘い声は人間を騙すのに魅惑的な声で、やはりかなりの魔力の持ち主だ。
「ダメです。これ以上やったら彼は死にますし、今月から魔王様の許可の元、僕が『洗礼』を取り締まっていますから」
「知るかよそんなの。お前も俺を倒しに来たんじゃないのか?」
バッとニコの腕を振り払った彼は立ち上がる。その背は高く、ニコより頭一つ半ほど高い。角も入れるとなおさらだ。彼は冷ややかな目でニコを見下ろした。
「だいたい何だその格好。王族だからって、俺は容赦しないからな」
どうやら興味が失せたらしい男は、そのままニコに背中を向けて歩き始める。校舎とは反対の方向だったので、ニコは声を上げた。
「ちょっと授業は? どこ行くんです?」
「あんたに関係ねぇよ。今度邪魔したらお前を『洗礼』するからな」
「……っ、だから『洗礼』は禁止だと……!」
ニコがそう声を掛けると同時に、男は高く跳躍した。予備動作もないのにと目で追い掛け、隣の校舎の屋上へ消えていくのを確認する。
ニコはため息をついた。
「……いいでしょう。『洗礼』を止められた訳ですし……」
ニコはしゃがむと、気絶している緑髪の男を担ぐ。すると彼が小さく呻いたので、ニコは安心させるために話しかけた。
「安全で休める場所へ運ぶだけですよ」
このまま放っておけば、また『洗礼』の餌食になる。とりあえず屋敷の医務室に連れて行くか、とニコは歩き出した。
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