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38 僕の命令は絶対です
それからというものの、バーヤーンは今まで以上にしつこくなった。誰かが近付いただけで前に立ち警戒し、それとなく触れてくる。今も食事を運んできた給仕係の仕事を奪い、バーヤーンがテーブルに朝食を置いていた。
「……人の仕事を奪うのは感心しませんね」
「そうですか。でもすべてはニコ様のためですから」
彼は慣れた手つきで、皿を運ぶ。領主だったのにそんなことまでやっていたのか、とニコは思ったけれど、バーヤーンに関心があると思われたくないので黙って見ていた。
まったく、どうしてバーヤーンは諦めてくれないのだろう。近くにいても、もうニコはバーヤーンの気持ちに応えるつもりはないのに。
そこでニコは気付いた。言い寄られるのが嫌なら嫌われたらいいのだと。
そもそも自分は魔王だ。命令は絶対だし、彼を近くに置いておかなくてもいい。適当な理由をつけて、遠くへ行かせたらいいのだ。
「……」
どうしてこんな単純なことに気付かなかったのだろう。見合い話も、すぐに受けて結婚してしまえば、バーヤーンもさすがに諦めるだろうに。
ニコは食事を始める。思い立ったら即行動だ。こういうことは先延ばしにしたら、どんどん決断が鈍ってしまう。
「バーヤーン」
いつものように食べ物を口にしながら、いつものように話しかけた。そこに嘘はないかのように。
「パチカさんの、見合い話を受けてみようかと思います」
つい昨日、話が出た東の領主の令嬢だ。とても器量良しで魔力も高く、領地ではファンも多いのだとか。そんな話をするとバーヤーンが息を飲む気配がした。それに気付かないふりをして、ニコは続ける。
「そしてバーヤーン。あなたは人間界へ研修に行ってもらいます」
「……は? なんで……」
「オコト様……お祖母様が懇意にしている人間のところがいいでしょう」
期限は無期限。ニコがいいと言うまでだと伝えると、バーヤーンはテーブルの端をバン! と叩く。そのあとのピリピリした静けさに耐えられず、ニコはスープをひと口飲んだ。
「そんなことは聞いてない。どうしてだと理由を聞いてる」
彼の声は低く震えている。ニコはそちらを見ず、フォークに刺した魚を品よく口に含む。けれど内心は心臓が口から飛び出そうだった。お願いだからこれで嫌うか諦めるかしてくれ、と心の中で願う。
「分かりませんか? 僕が何度も断っているにも関わらず、しつこく迫って来るからですよ」
いい加減鬱陶しいので、僕の目の届かないところに行ってください。そうニコが言うと、バーヤーンから歯ぎしりの音がした。彼の荒い呼吸も聞こえる。
そうだ、怒れ。そしてこんな魔王に仕えるのはもうごめんだ、と去ってくれ。そう思ってニコはまたスープを口にする。
「…………断る」
「……は?」
低く唸るような返事に、ニコは思わずバーヤーンを見てしまった。グレーブルーの瞳が強くこちらを見据えていて、視線を逸らしてしまう。
「何言ってるんです? 僕の命令は絶対です。行きなさい」
「嫌だ」
今度は即答された。ニコはバクバクする心臓を宥めるために大きく息を吐いて、目を伏せる。ここは心を殺さないと、バーヤーンを追い出せない。気をしっかり持て、と拳を握った。
「僕の命令が聞けないなら、あなたには死んでもらうしかないですね」
「……分かった」
ニコは努めて静かにそう言うと、バーヤーンはニコのそばに正座をし、両手をついて前かがみの姿勢になった。
「お前に仕えることができないなら、生きていても意味がない。殺せ」
どうやらこのまま首をはねろと言いたいらしい。思ってもみないバーヤーンの行動に、ニコは動揺し、食事の手が止まってしまった。
どうしてそこまでするのか、ニコは本気で分からなかった。そして、口先だけで彼を遠ざけても、まったくの無意味だと気付いてしまう。そう思ったら目頭が熱くなり、ニコの声は震えた。
「どうして……?」
細く掠れた声はきちんとバーヤーンに届いたようだ。バーヤーンは顔を上げ、ニコを真っ直ぐ見つめる。
「お前にも守るものがあると知ってから、俺はお前に仕えると決めた。そんなお前が、暴走した俺を止めてくれて、俺のために二度も怒ってくれた」
それだとそばにいたいと思う理由には不十分か? とバーヤーンは言った。ニコは急激に視界が滲み、あっという間に落ちていく水滴を見つめながら、膝の上で拳を握る。今の彼の言葉を信じるなら、バーヤーンは随分前からニコのことを意識していたようだ。でも、だからと言って「はいそうですか」とは言えない。
「だって……僕は……魔王で……、きみとは背負ってるものが違うんです……!」
「ああ、だから俺にもそれを背負わせてくれ」
お前は真面目だから、ショウ様たちのような夫婦に憧れても、真似はできないと考えてるだろ? と言われた。ニコはその通りだ、と嬉しくなり、ボロボロと涙を零す。それでも小さく首を横に振ると、バーヤーンの手が頬に当てられる。
「お前の一番の懸念は世継ぎだろ? 俺はもう、お前以外考えられないから」
確率は低くても、世継ぎが産まれる可能性があるなら捨てたくない。もしダメなら、他にも方法はきっとある、とバーヤーンは説得してくる。
「も、もしも……もしもですよ? どうしてもダメで、僕が女性と交わることになる可能性だってあるじゃないですか……っ」
ニコは袖で涙を拭った。バーヤーンは幾分か優しくなった目線でニコを見つめ、その涙の跡を指で拭う。
「それがニコの背負ってるものの半分と言うなら受け入れる。とにかく俺はお前と一緒にいたい」
「……っ、ぅう、うううう……!」
今度こそニコの口から嗚咽が零れた。こんな告白をされて、どうしてまだ意地を張れるだろうか。
「お前が気にするだろうから、西の復興も急いでやった。先代魔王様に仕えたのも、お前に仕えるための足がかりだった」
全部ニコのそばにいたいからだったと言われて、ニコは声を上げて泣く。その涙を、バーヤーンはずっと優しく指で拭ってくれた。
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