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「はあ、はあ、はあ……」
息が苦しい。折れた足は、一歩進むたびに激痛を走らせる。もしも魔力が残っていたならば、骨をくっつけるくらい訳ないことであったのに――ああどうして、どうしてこんなザマになっているのだろう。
折れた枝を踏む。
繁みをかきわける。
不気味なクロガラスの鳴き声を聞きながら、夕闇に染まった森を走る、走る、走る。
もう追手が来ていないことはわかっていた。森の入口を過ぎて暫くしたところで気配は消えている。多分見失ったのだろう。あるいは諦めたのかもしれない。追いかけてきた奴らも所詮は雇われの傭兵、もしくは脅されているだけの者達だ。雇い主の任務に対して、忠誠心なんてものは微塵もないのだろう。
自分にとってはそれが幸いした。
とにかく今、捕まるわけにはいかないのだ。みんなが命懸けで自分を逃がしてくれたのである。その想いに、願いに己は答えなければならない。山ほど流された血を、肉を、想いを、苦しみを、けして無駄にしないためにも。
――早く、早く、早く。
ぜえぜえと息をしながら、ただひたすら前方を睨んだ。
この呪いの森の奥には、小さな小屋があると聞いている。コテージのような木製の木こり小屋だ。そこには一人の魔術師が住んでいて、ある事件で困っている人に手を貸してくれるのだという。
噂は幼い頃から聴いたことがあったが、特に気に留めたこともなかった。自分達がお世話になるようなことなどないと思ったからだ。同時に、呪いの森には強いモンスターも多いと聞く。滅多なことでは近寄らないのが賢明だという話だ。ならばその奥に小屋があるかどうかなんて、誰も確かめにいこうとするはずがないのである。いくら我々が人間よりも丈夫な、エルフの一族であるとしても。
用がないのは幸せだったからだ。
そして無知だったから。――まさか魔王を倒した英雄たる者達が、全然関係のない者達を苦しめることがあるなんて、そんなこと想像もつかなかったから。
しかし、現実は違った。実際に自分達は虐げられ、明日をも知れぬ命となっている。この世界を救い、希望をもたらしてくれたはずの勇者たちの手によって。
――こんなこと、絶対間違ってる。私達は……私達はエルフで、けして人間ではないけど。でも、けして家畜なんかじゃないのに!
「あ、あああああああああああああああああああああああっ!」
悔しさを吐き出すように、己のを鼓舞すように咆哮した時だった。突然、目の前が開けた。転がるように膝をつく。折れた足に響いて、痛みで息が止まった。しかし、それ以上に目を奪われたのだ。
「こ、ここは……?」
小さくも美しい木こり小屋。
そしてその屋根にくくりつけられた、十字架を象ったような美しい青いランタン。ランタンが揺れるたび、ふら、ふら、と青い光が薄暗くなった森を照らしだす。
まさかここがそうなのだろうか。呼びかけようと息をすいこんだ、その時だった。
「おやおやおや、お客さんかね」
ぎいいいいいい、と音を立てて、小屋のドアが開いていく。思わず目を見開く自分。森の奥に住んでいる魔術師だというから、きっと大柄な老人か誰かが出てくるとばかり思っていたのだ。
しかし、実際には違っていた。
姿を現したのは紫色のローブに、長いウェーブした黒髪に、真っ白な肌に緑の瞳をもった――まだあどけない顔をした、美貌の少年であったのだから。
「あな、たは……?」
呼びかけると彼は、喉の奥でくつくつと笑った。
「僕はクイン。君は、僕に会いたかったのではないのかね?」
その長い睫毛に縁どられた瞳が、きゅうう、と三日月形に歪んだ。
「この場所に来られたということは、君にもまた僕にしか叶えられない願いがあるということなのだろう。聞かせてくれたまえ。……ああそうとも。僕こそが、君が追い求めていたであろう……“勇者狩り”の魔術師だとも」
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