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 その三週間後の元旦、僕と美宇は緊張の面持ちで、僕の実家のソファーに腰かけていた。 「遅いね」 「うん」  目的もなく付けたテレビからは、年始特有のやたら長尺なバラエティ番組が流れている。  着物を着た有名人が「あけましておめでとうございます」と繰り返して、クイズに答えていくだけの番組で、さっぱり内容なんて頭に入ってこない。面白いわけではないけど、こういう番組を見ると、あぁ、年が明けたんだなぁって実感するのはなんでなんだろう。  すると、玄関を勢いよく開ける音に続いて、バタバタと騒々しく白い塊、もとい父さんが僕たちの方に猛然と突進してきた。 「待たせたな」  白衣姿のままの父さんを追いかけるようにして、こちらはちゃんとナースウェアから普段着に装いを変えた母さんも駆けつける。 「ごめんなさいね、美宇さん。満月は産気づく子多いから、病院なかなか抜けれなかったのよ」 「いっ、いいえっ!」  気が動転したのか、美宇は急に立ち上がった。  僕の両親は、特に父さんは、風貌だけは強そうだけど畏まる必要なんてないよ、そういうの気にしない人たちだからって言っておいたけど、まあ無理な相談だろう。  美宇とその親との関係性を考えれば、僕と両親とのフランクな関係は、まさにカルチャーショックだったろうからね。  それに何より、美宇にとって僕の両親は義理の親になる。そりゃ、緊張もするだろう。 「忙しいのにごめんね」  そんな美宇を支えるように、僕も立ち上がって、その薄い背中にそっと掌を添えた。 「二人に改めて、美宇を紹介したくて」 「葛西美宇です。これ、」  美宇が綺麗にラッピングされた菓子折りを母さんに差し出す。白地にお店の名前印字された包装紙を目にして、母さんの顔がぱっと輝いた。 「あらぁ、これ私が好きな羊羹じゃない! 嬉しいわぁ」 「せ……宙さんから伺ったので」 「わざわざありがとうねぇ、美宇さん」  母さんの人の良さが滲み出る笑顔に、美宇の肩の力がほんの少しだけ抜けたような気がした。 「宙の母です。さ、座って。お茶でも淹れるから」 「美宇さん、ありがとう」  続く父さんの低い声に、美宇の体がびくっと痙攣する。美宇の「お父さん」に対するイメージからすると、たかだかお礼を言っただけでもこうやって怯えてしまうのは当然だ。 「あ、あー、美宇、大丈夫だよ。父さん、ホワイトライオンみたいな見た目だけど、中身はただのお喋りなおじちゃんだから」 「おじちゃんって失礼だな」 「お喋りなのは否定しないんだね」 「口から先に生まれてきた男だからな、俺は」 「それ、偉そうに言うことでもないわよ、父さん」  謎に胸を張る父さん。その目の前に湯気を立てた緑茶を置きながら、母さんがはぁとため息をついた。 「母さんに言われたくないな。一日中ピーチクパーチク何かしら話して」 「そーやってまた嫌な言い方する」 「ちょっと、ちょっと、二人とも。美宇もいるんだから、自重してよね」  いつものやり取りを繰り広げそうなので、僕は静止して、呆気に取られている美宇に向かって眉を下げてみせた。 「ごめんね、美宇。うち、いっつもこんな調子でさ」 「いつも? いつも、こんなに賑やかなの?」 「うん」 「そっか」  美宇の大きな瞳がじいっと父さんと母さんに向けられる。まっすぐで、切なくなるような眼差しだった。 「これが、家族かぁ」 「美宇」 「こんな賑やかで仲良さそうな家族なんて、あたしからしたら作り話の産物だったからさ。そっかー、羨ましいなぁ」  そう言って、美宇は眩しそうに目を細めた。その横顔に寂しそうな影が落ちていて、僕は美宇の手をそっと握った。その時、 「何言ってるんだ。もう美宇さんも、家族の一員だろう?」  父さんが羊羹を頬張りながら、呑気な調子で言ったんだ。 「ちょ、ちょっと父さん! 最近の子は義理の家族とか、そういうの煩わしいって嫌がる子もいるらしいから、そんなこと言ったら迷惑かもよ?」 「って言っても母さん。うちの息子と結婚するんだから、もう俺たちとも家族じゃないか? そうだろ、宙」 「う、うん。美宇さえ嫌じゃなければ」 「だってさ、美宇さん」  急に身内扱いされる美宇の気持ちを慮って焦る僕や母さんを尻目に、父さんは相変わらずのマイペースで羊羹を貪り、お茶を豪快に嚥下する。当人の美宇は、目をぱちくり瞬かせるばかりで、いつもの強気な返しは身を潜めていた。 「美宇さん。これは別に嫁いだからとか、大浦家を立てろとかそういう話ではなくてね、あくまで父さんなりに、もう他人ではないですよっていう歓迎の印で、」 「……あたしなんかで、いいんですか?」 「え?」  美宇は目線を自分の拳に固定して、小さな声で問いかけた。 「実の親にも見限られて、どこの子ともわからない子供を抱えている失敗作のあたしなんかが、大切な息子さんと結婚していいんですか? あなたたちのような、温かい家庭の一員に加えてもらってもいいんですか?」  父さんも母さんも、そして僕もはっと息を止めてしまった。  美宇の心に刻まれた呪いは深く重い。美宇が優しい場所に行こうとする度に、その足を絡めとろうとしていたんだ。 「……あー、美宇さん」  こんなしんみりした空気が一番苦手な男、もとい父さんが白髪を大袈裟に搔きながら、美宇の顔を正面から捉える。 「俺はな、まだ美宇さんのことをよく知らんし、今の言葉を否定してやることもできない。だけどな、宙は俺たちの大切な息子で、その息子の判断に全幅の信頼を置いている。だからこそ、宙が人生の伴侶にって選んだ美宇さんは、きっと素晴らしい女性なんだって、俺たちの家族に是非なって欲しいって思ってるよ」 「お義父さん、」 「父さんっ」  本当に適わないよ、父さんのこういう所は。 「あ、あと、どこの子ともわからない子、じゃないだろう。美宇さんの子供なんだから、宙の子供で、俺たちの孫だ。そうだろ、母さん?」 「ええ。私も父さんも初孫ができるってわかってからは、ずっと嬉しくて堪らないのよ。あ、美宇さんが嫌だったらごめんなさいね。過干渉にならないように注意するわ」 「お義母さん、」  美宇が瞠目する。見開かれた大きな瞳は、透明な膜が今にも溢れそうに脈打っていた。 「って言うけど、母さんなんて生まれたらすぐ会いに来ちゃうでしょ? 美宇の負担にならないように、ちゃんとセーブしてよね」  茶化すように僕が釘を刺すと、母さんが不満げに唇を突き出す。 「なによ、本当はね、今だってベビー服とか見に行って買いたくなっちゃってるけど、そういうのは宙と美宇さんが選びたいだろうって我慢してるのよ?」 「いや、それは当然でしょ。服を選びたいなら、僕たちと見に行ってそれから、」 「……ありがとう、ございます」  僕と母さんの言い合いは、美宇の潤んだ声が断ち切った。父さんと母さんと、そして僕が柔らかく目を細める中、美宇は小さく頭を下げた。 「これから、よろしくお願いします」
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