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「でもね、僕は口下手だから、ちゃんと伝えられるのか不安だった。それに、美宇との出会いから亡くなるまでを話そうと思うと、とても長くて複雑な話になる」 「だから、手紙」  真夏だというのに湯気が立ち昇るホットココアを啜って、星奈が母親譲りの長い睫毛をパタパタ瞬かせた。甘党なのも、多分美宇に似たんだろうね。 「待ってるって言ったけどさ、ママの話をこんな形で知るなんて思ってなかったから、送られてきた時はびっくりしちゃったじゃん」 「ちょうど結婚式で美宇に渡すために書いてた手紙があったからね、それも参考にしながら書いたんだ」 「道理でちょっと恋文っぽいトーンだったのか。娘に送る手紙にしては、なんかちょっとロマンチックというか」 「えっ、嘘!?」  一応、星奈が読んで恥ずかしくなりそうな部分は、意図的に書かなかったはずなのに。  僕が驚いて目を見張ると、星奈はきゅっと唇を弧にした。 「ほ・ん・と。あ、でも確かに物書きの才能はあるかもね。面白かったし、ちょっと感動しちゃった」  そう言って茶化す星奈は、どこまでもいつも通り……いや、以前よりもぐっと親しげで、あんなに離別の覚悟を決めて筆を取った僕としては、この反応はさすがに予想外だった。 「星奈は普通に喋ってくれるんだね?」 「え? どゆこと?」 「手紙を読んだら、怒って、縁を切られるかとも思ってたから」 「縁を切る? なんで?」  きょとんとする星奈。 「だって、僕は君の出生に関わる大事な話を黙ってて、」 「まー、それはね。話すにしても今じゃないだろって怒ってるよ。私、明日どんな顔してパパに会ったらいいの? って思ったもん。だから、こんな真夜中にすっ飛んできちゃったし。でも、それだけ」 「やっぱり怒って……ってそれだけ!?」  思わずココアを口からまき散らしてしまって、星奈が眉をしかめる。 「パパ、汚ったない」 「だ、だって」  無意識に口にしてから、はた、とそういえば美宇ともこんなやり取りをしたことがあった、と思い起こす。  のは一旦、置いておいて。 「えーっと、星奈の怒りポイントは……話すタイミング。それだけ?」 「それ以外に何か怒ることあったっけ?」 「その、僕と血が繋がってないこと、とか」  僕は星奈の顔色をそろりと伺う。だってこれこそ、僕が一番恐れていたことだったんだから。 「ただでさえ疎遠なのに、本物の父娘でもないなんてわかったら、星奈はそのことをずっと隠してた僕のこと怒って、尚更嫌いになって、それで、」 「はぁぁぁ。ばっっっかなの!?」  唐突に、星奈の大声がリビングにキンキンと響き渡った。まるで超音波を用いた攻撃を受けたみたいに、僕の脳はグラグラと揺れる。 「せ、星奈?」 「本物の父娘じゃない!? そんなことない! 血が繋がらないなんて、大したことじゃないでしょ!」 「…………え?」  一瞬、ダメージを受けた頭が都合よく幻聴を捉えたのかと思った。  星奈、今、なんて、 「血が繋がらないことが、大したことじゃない?」  呆然と繰り返す僕に、星奈は盛大なため息をついて肩を竦めた。 「本当にパパは。あんなにママにそれを説いておきながら、自分のこととなるとわかんなくなっちゃうのね」  そして、ふっと微笑む。それは、とても優しく、慈悲深い笑みだった。 「パパは、自分と血が繋がってなくても、私のこと大好きじゃない」 「それは、そうだけど」 「そりゃね、びっくりしたよ。パパとママが出会った経緯があんなで……私の生物学上の父親があんな奴だなんて、さ」  星奈が母親そっくりの大きな目を伏せる。  僕はすっと息を飲んだ。 「星奈。君はあの男とは一つも似ていない。素晴らしい子に育ってくれたと思ってるよ」  そう。僕が星奈に出生について言い淀んでいた理由の一つに、父親が褒められた人間ではないこと。そして、その血を引いていることで、星奈が気に病んでしまうのではと危惧していた点もあった。  しかも、星奈の父親が僕ではないことを伝えれば、父親にあたる人間に星奈が会いたがる可能性だってあった。けど、美宇と星奈を愛する男として僕は、それを絶対に許すことはできない。  社長のした行為、美宇と当時お腹にいた星奈に向けていた醜悪な感情を知ってもらえば、会うのを許さないという僕の思いは星奈に理解してもらえるだろう。だがそれは同時に、星奈の遺伝子の半分を侮辱することに他ならなかった。  苦渋の末、僕は全てをありのまま、書き記すことにした。  僕が見て、感じた全てを。  たとえ、あの男の遺伝子を持っていたとしても、星奈は僕と美宇に望まれて、愛されて生まれてきた子なんだとわかってもらうためにも。 「そうだといいな」  星奈は曖昧に唇を歪めた。その表情に胸がチクリと痛む。  全てを手紙に託した僕は、そのことを少しだけ後悔していた。  星奈が望んでいたのは、美宇について知ることのみ。星奈の出生については今まで通り隠したまま、墓場まで持っていくべきだったのかもしれない。  ただただ、そのことを黙っているうしろめたさに、僕が耐えられなかっただけじゃないのか。僕が手紙に書かなければ、そうすれば、星奈はそのことを知らず、傷付くこともなかったんじゃないか。  激しい悔恨に襲われていたその時、星奈は「でもね」ときっぱりとした口調で切り出す。 「全部全部、知れて良かった。そもそも私には、ママとの思い出も愛された実感もなかった。それが不安で、だからママのことを知りたかった。図らずして、私の知らなかった私のこともちゃんと知れて、それは収穫だよ。嫌な事実もあったけど、それも含めて、知らなきゃ良かったなんて、全く思ってない」  星奈が毅然として胸を張ると、頭の高い位置で一つに結わえた瑞々しい黒髪がぴんと弾んだ。我が娘の凛とした振る舞いに、僕の中に渦巻いていた暗い影は跡形もなく消え去り、背筋がしゃんと伸びる。 「星奈。君は強い子だね。美宇によく似てるよ」 「まあね」  にっと無邪気に笑う星奈。そして、瞳に強い光が宿った。 「パパ、全部教えてくれてありがとう。それに、血も繋がらないのに私のことを愛して育ててくれて、本当にありがとう。今夜はね、それを伝えに来たの。多分パパ、私に言うべきだったのかって、今でも悩んでるんだろーなーって思ってさ」 「……星奈」  強く、優しく、賢い。  美宇、僕たちの娘は本当に素晴らしい子に育ってくれたんだね。 「星奈にそう言ってもらえるなら、僕も頑張って書いて良かったよ」  手紙を書くにあたって、僕が知っている美宇の全てを思い出して、その度に僕は泣いた。  美宇に会いたくて、でもそれがもう叶わないって事実に打ちのめされて、何度も泣いた。  泣いて、泣いて、泣き腫らして。やっと、僕は美宇の遺影を見ることができるようになったんだ。  随分と久しぶりに見た写真の中の美宇は、記憶にあるよりも幼くて可愛くて、大好きな姿そのままだった。  うっかり目から何かが零れそうになって両手で覆うと、星奈が「え、泣くの? 一日早くない?」なんてからかうから、僕も意地を張って「もう日付変わってるけどね!」なんて強がってみる。 「えっ、いつの間に! 言ってよー」  星奈は本気で気付いていなかったのか、時刻を見て苦笑いした。  その表情が何故かぐっと大人に見えて、僕は動揺する。  いや、当たり前だね。  今日は七月七日。  星奈の二十六回目の誕生日で、彼女の結婚式当日だ。  美宇が亡くなった年齢をとうに越して、大学も卒業して、彼女ができなかったことをまた一つ、星奈は為そうとしている。  こんなに嬉しいことは、他にないね、美宇。 「星奈、お誕生日おめでとう。そして、」  嬉しいのに。星奈が成長したことが、幸せそうなことが心底嬉しいのに、どうしてこんなに胸が張り裂けそうに痛むんだろう。  相反する感情を抱えて、僕は震える唇からこの言葉を絞り出した。 「結婚、おめでとう」
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