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リテイク
カンヌ映画祭に何度もノミネートされた若手監督が、立ち上がって私の元へ歩み寄る。
「台本は全部入っているんだろうな? このシーンの背景を言ってみろ!」
「はい。 怪我を負って自暴自棄になったアスリートの主人公を発奮させるため、恋人の私が別れを切り出すシーンです」
「その時のお前の心情は?」
「このまま彼を甘やかすと逆にダメになる。別れたくないけど、彼のためを思って別れます」
「それじゃ、もう一回やってみろ」
「シーン35、カット1、テイク3」
「カット。背を向けるときに情感を込めろ。もう一回」
カチンコが二度鳴る。
「シーン35、カット1、テイク4」
「目の色が違う。カットだ。もう一回」
カチンカチン…… カチンコがリテイクを告げる。
「テイク5」
「それは本気で別れるときの目だ。もう一回」
カチンカチン。
「テイク6」
監督が天を仰いだ。
監督の『カット』の声を聞かずに、助監督がカチンコを二度鳴らした。
新人女優の私に、演技プランのストックはもうなかった。
スタッフの視線が私に冷たく刺さる。
私はオファーが来た当時、才能ある若手監督の作品に参加できる機会に胸を躍らせたのだが、これほど自分の演技を否定されるとは思わなかった。自分の不甲斐なさに涙が出そうになる。
「15分休憩。休憩後、テイク7から始める」監督が告げる。
ため息をつきながら、スタジオを出ていくスタッフたち。
なすすべもなく立ちすくむ私に、監督が近づき声をかけた。
「いいか。このシーンはお前にとっても意味があるんだ。この役の情感を感じ取れ。お前のうちにある愛情を心に秘めろ。それができれば、お前は女優として一皮剥けるんだ」
そう言い放ち、外へ出て行った。
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