あと一回やらせてください

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あと一回やらせてください

 休憩が終わり、スタッフが持ち場に戻る。  監督が今までにない、優しい声で語りかけた。 「どうだ? 出来そうか? もし次駄目なら、このシーンは書き直してお蔵入りにする」 「あと一回だけ、やり直させてください」  私は、監督をまっすぐ見て答えた。 「カメラ回りました」 カメラマン。 「音声OKです」 音響スタッフ。 「シーン35、カット1、テイク7」  助監督がカメラ前にカチンコを映す。 「用意。アクション」  カチン。 「私たち、もうこれ以上一緒にいてもお互いのためにならないと思うの」  私は、彼を直視して告げる。  後半のセリフは涙声になりそうになる。 「別れましょう」  なんとか声を絞り出す。  彼に背を向けるとき、涙がこぼれる。  大丈夫、カメラには映っていない。  ここは泣いちゃダメ……  泣いているところを見せちゃだめ。  私はゆっくり、彼の元を去る。  背後から駆け寄る足音が聞こえた。  そして突然、誰かに抱きすくめられた。 「OKだ。よくやった!」  耳元に監督の声。  監督の腕がほどけ、私は振り返った。  監督は私の前にひざまずき、ポケットに手を入れ何かを探している。    いつも無造作にポケットにしまうから…… 「許してくれ。あと一回、僕とやり直(リテイク)してくれないか?」  泣きそうになりながら、一生懸命くしゃくしゃな笑顔を作ろうとしている監督の手には、私の誕生石のリング。  スタッフたちの拍手と歓声。  助監督がカチンコを頭の上に掲げ、撮影終了の音を鳴らした。 (了)
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