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3 Close the Distance
それから幾日。毎回同じような業務をこなす日が続いた。
ある日の午後。仕込みの指導を受けていたとき、唐突にあの人が語った言葉に戸惑いを覚える。
「そう言えば、髪の毛切った?」
一瞬思考が止まる。
え、あ、面接の後切りましたが、とやっとのこと返答をしている間、よく気付いたと言うか、そんなところを見られていたのかと、気恥ずかしさを覚えた。
面接から入社まで一ヶ月近く経っている。長かった髪を見せたのは面接のときの一度きり。それを覚えていたのかと、素直に驚いた。
「あ、いや初日に逢ったとき、何となく雰囲気が違うなと思ったんだ。もしかしたら髪型変えたのかなってね」
少し早口に、何故か弁解するように話すこの人に何だか可笑しくなってしまった。
その日の終わり近く、また事務作業をすることになった。あの人の椅子に座り、またあの人は左に座る。その日から仕事の話以外の、雑談が増えてくる。
好きな漫画の話。お互いの癖の話。体質、血液型、周囲の話。
少しずつお互いの情報が、相手に伝わっていく。話をするのは嫌いじゃないし、徐々にこの人のことも分かってくるようになると、自然と私は笑っていることに気付いた。
「ごめんね、こんなしょうもない話に付き合ってくれて。迷惑じゃなかった?」
いえ、そんなことは。本心だ。
「実はさ、あなたが来る前は仕事の話も他の話も、誰にも話せない状態だったから、何だか嬉しくて。つい話し過ぎてしまいました」
そうなんだ。確かに業務上の話や、会社の現状などパートさんや、クライアントさんには憚ることも多いだろう。私にはふざけて冗談混じりで話すのを見て、普段から変わらないだろうと思っていたが、案外孤独を感じていたようだ。
それから事務作業をしながら、時々雑談をする毎日が続いた。今日は何の話だろうななど考えることも多くあり、少しの期待感を持っていることに気付いた。
けれど…。
話が途切れ、沈黙が訪れる際に、左に座るあの人が私の逆を向き、一点を見つめ、何かを、おそらく何かを考えている表情を、しばし見つけることがあった。
何を考えているかなんて、分かるはずもなかったけど、それでも表情から、決して楽しいことを考えていないことだけは分かった。
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