誤り: 2023年10月某日

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誤り: 2023年10月某日

 単純明快なデータというものは、得難いからこそ価値が高いものである。  単純なデータなら抽出が容易いと思われる方もあろうか。  それが途方もない思い違いである事は、一度でも研究というものを志した人であれば理解しているであろう。  例えばここに培養液の入ったシャーレがあり、その中に虫歯菌のコロニーが存在しているとする。コロニーとは即ち菌の凝集体であり、菌達は互いをマトリクスと呼ばれる繊維で繋ぎ、周囲の情報を伝達しあい、犠牲を払いながらも周囲から齎される様々な攻撃から共同で身を護る。  攻撃とは例えばブラッシングなど物理的なものであり、例えば消毒液であり、あるいは抗菌薬などである。  さてこれから、シャーレにたっぷりつまった虫歯菌共に対して攻撃を加えてみよう。  今、ピンセットで抓んでいるのはとある光触媒物質。特定の波長の光を当てる事によって、周囲の水分子を活性化、発生したラジカルによって菌を破壊するといったもの。粒子径が極めて小さく、液中でまるで糖のようにふるまうため、食べられるという形で菌の体内に迅速に届けられる。そこに光を当てることにより、菌の体表ではなく内部から攻撃するのだ。  これを薄いタブレット状に固めシャーレの中央に置く。置かれたタブレットは直ちに解けシャーレ内に拡散する。これに時間毎、また波長毎で光を当て、どの程度の時間で菌体内に取り込まれるのか、効果的な波長の範囲はどれくらい幅があるのかを検討していくのである。  さあこの実験により、何某かの知見が得られたとして、ではこのデータは単純明快なものであるといえるだろうか。  否、である。  これは光触媒となる物質に光を当てて菌を死滅させたというデータに過ぎず、シャーレ内にラジカルが確かに発生していたとしても、それが菌に取り込まれたという証にはならない。また、取り込まれたという証が立てられたとして、菌がラジカルにより破壊されたのか、あるいはラジカルが発生した際の熱によるものなのか、その塩基性により菌が溶けたのか、また、光触媒が光を集めたことにより、あるいはレーザーのように内部で爆発が起こったのか。この研究ひとつでは、全て可能性に過ぎないのである。  こういった汎ゆる可能性を一つずつ排し、最後に残ったデータこそが単純明快なものであり、我々研究員は日々、そこを目指し様々な検証を重ねていく。
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