雨上がりのかき氷

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雨が上がったからといって、イイことがあるわけではない。 雨上がりだからといって、遠い空に、いつも虹なんてものが架かるとは限らないように――智和は、投げやりに呟いて、全く遠くの空を見た。 せいぜい、まあ、キモチよさげな風なんてのが吹いてきてくれたなら、少しは救われる気分になるだろうかと心待ちにしたって、叶わない。 何だか、それしきの風さえ、吹いてきてはくれないようだ。 今日も朝から、暑い。 熱帯夜続き、真夏日続き、ッたくどうなってんだよと気候を怨む。 食欲だって減退気味だ。 寝不足の傾向もある。 ッたく、生きてて何が愉しんだヨッてなものである。 あーあ。あーあ。あーあ。3回連続の溜息がやるせない。 自分はまだ、ハタチなのに。やっと、二十歳なのに。 いや、わかっているつもりだ。 雨が上がったからといって、イイことがあるわけでなく、雨上がりだからといって、遠いお空に、いつもキレイな虹なんてものが架かるとは決まっていないように、ハタチになったからといって、二十歳であるからといって、思わず息を呑むような幸運といったものが急に訪れてくれるものでもないのだろう。 あーあと4回目の長い溜息を付いたあと、智和はともあれ、出掛けることにした。 本日も真夏日、まあ、かき氷でも食べてやろうと健気な決心をしたのである。 めざすかき氷店は、テレビの情報番組などでもよく取り上げられる。 口に入れた途端、ふわっと融けるふわふわの氷が好評とかで、いくら食べても、頭の片隅などが、キーンと痛くなったりもしないとの評判。 人気店らしく、本日も行列が出来ている。 1時間半は待って、ようやく店内に入って、相席のテーブルに着いた。 先客に、軽く頭を下げたりなどして、イスに座るのも、まあ仕方ない。 そのヒトは、かなり年上に見える。中年男性といっていい。 頭髪は豊かだが、白髪の筋が幾つか見える。 先客だけあって、もうかき氷を食べている。 抹茶の緑があざやか、アズキの茶色や、練乳の白さも、食べごころを誘うようだ。 僕もおんなじのにしようかな、と一瞬思ったが、目の前の人が食べているものをそのままというのはなんだか気が引けて、イチゴにメロンにと色彩豊かにトッピングされたフルーツ氷を、智和は注文した。値段は高めだが、バイト代が入ったばかりだから、まあいいかの気分である。 男性は、スプーンを光らせて、ヒト掬い、フタ掬いとけっこうなスピードで、氷を減らしていく。 そして、 「キーンが来ないなあ」と呟くのであった。 呟いて、智和を見る。苦笑いの表情を浮かべて、もう一度、 「来ないんだよなぁ、キーンが」 智和に向かって聞かせているような口調にも聞こえた。 だから、智和も咄嗟に応えた。 「で、ですから、それがいいんですよね。キーンが来ないから、頭が痛くならない。ふわふわ氷のおかげなんでしょう」 うん、そうなんですよね、と男性は、苦笑を消さずに頷く。 「でも、私にとっては、キーンが来ないってのは、今一つ面白くありませんでね。いえ、今一つ、どころでなく、おおいに残念と言いますか……」 はぁ。智和は腑に落ちない。怪訝なまなざしを、抹茶のかき氷と男性に向けた。 男性は、暫し、スプーンの動きを止めて、言った。 「キーンが来てこそのかき氷。期待してやって来てるわけですが」 期待して? ますますわからない。 ヘンなヒトだな、と智和は首をかしげたくなった。 そんな智和に、男性はこんなセツメイをした。 自分は元来の頭痛持ちだ。しょっちゅうの痛みをかかえている。朝、目を覚ました瞬間から、痛い日もある。病院にも通っているし、薬も飲んでいるが、決定的な改善は見られない。 「それが、ですね」 ヒト呼吸置いて、男性は宙を見たあと、おもむろに、手元のかき氷を柔らかな視線で包み込むようにした。 「かき氷の、あの独特のキーンの痛みっていうのが、救いになるのですね」 「す、救い、ですか?」 「ええ。キーンの痛みが、元来の頭痛を消してくれるというのか、逆作用というのでしょうか」 へー。そんなのってあるんだろうか。智和は、不思議な感覚に捕らえられ、間の前の男性をあらためて見る。 「キーンの痛みのおかげで、かき氷を食べているあいだだけでも、ホッと頭痛持ちでいなくなることができる。私にとって、これほど有り難い特効薬はないってものなのですよ」 言いながら、それでも、男性はふわふわ氷を減らしていく。けっこうなスピードは変わらずで、そうすることで、キーンの痛みの到来を願ってのことのように見えて来る。 「やっぱり、来ないな」 男性は残念そうに呟いて、スプーンを持っていない左手で、こめかみ辺りを押さえた。 「そう、この辺りまで、キーンの痛みが走って来てくれるとシメたものなんですが」 来い、来い、とまで、男性は声を出す。 智和はいっしょに応援して差し上げたい気持になりそうだった。 来ない、来ない――しかし、男性の願いは叶わない。 あきらめました、と男性は溜息を付いた。 「実は、私には、通い慣れたかき氷屋さんというのがありまして、そちらのかき氷は、昔ながらの素朴なやつ。間違っても、ふわふわなんてものではない。その分、キーンの痛みを確実にもたらしてくれるのです。しかし、ところが、あいにくと先日、店主の方が、高齢を理由に店仕舞いをされてしまいましてね」 あー、そうだったんだ、と智和は思わず頷いた。 頭痛とは無縁の自分には、そのつらさは実感しにくいが、朝起きた瞬間から、あ、痛いッと頭をかかえたくなるとは、どんなものか、想像は出来る。同情の思いがむくむくと湧いた。 智和のフルーツ氷が運ばれてきた。メロンをパクリ、イチゴもパクリ、あれ、ブルーベリーも乗っかってるな、と果物をまずは口に運び、ふわふわ氷を掬った。 しばらく待っても、キーンの痛みは来ない。 「僕のも、来ないですね。キーンは」 「来ないですか」 やっぱりそうですかと男性は今一度溜息を洩らし、そそくさと残りのふわふわ氷を食べ終える。 「いえね、ウチには、自分でかき氷を拵えるかき氷器など、もちろんあって、キーンの痛みを程よくもたらしてくれてもいたのですが、気まぐれなところがあって、もうずいぶんと長いこと、キーンはくれなくなっていて。ええ、故障しているってわけでもないのですが」 まあ、そんなわけなのですよと智和に会釈するような微笑をくれてから、 じゃあと立ち上がる。 智和は、あの……と引き留めていた。 「あ、あの、良かったら」 「え?」 「これから、いっしょに行きません? 僕、知ってるんです。キーンが来るかき氷屋さん」 男性は、一瞬のうちに表情を明るませた。 「バスにも電車にも乗らなくていいです。ここから、そんなに遠くないです。歩いて行けます」 智和は、咳き込むほどの勢いで、フルーツ氷を減らした。 店を出ると、曇り空だった。気温は変わらず高そうだが、空を覆う雲は、じきにポツンポツンと雨粒を落とし、すぐにも、本降りとなった。 智和に傘の用意はなかった。 男性が、バッグから折り畳み傘を取り出し、どうぞと智和を入れる。 あいあい傘だなぁと呟く声が、上ずっている。 これから、キーンの氷を提供する店に行けるらしいと気持が弾んでいるのだろう。 道すがら、お互いの自己紹介めいたものをする。男性から話した。 独身。印刷会社で経理の仕事をしている。昔から数字が好きだった。イチ、ニ、サン、シ、ゴー、ロクとそこまで数字を口にして、片手で、そろばんの珠を弾く動作。 「子供の頃から、そろばん塾にも通ってまして。いえ、会社では、電卓とかを使ってますけれどね。頭の中に嵌め込まれているそろばんの方が、計算が早かったりして」 「凄いですねえ」 1.2.3.4.5.6……男性の好きな数字の群れというものが、彼を悩ませる頭痛を退治してやったらいいのに、と智和は思った。 「学生です」と智和は我を名乗った。一浪して、第2志望の私立大学に合格した。今2年生。このところ、ツキから見放されている感じがして、メゲている。万札の入った財布を落としたかと思えば、落としたその日に、女の子にフラれた。親友、と思っていた学生仲間からも、突然の絶交宣言を食らった。この自分の何処が気に入らなくなったのか、彼は話してもくれない……。 雨の音が激しくなる。 「雨がこんなに降ろうが降るまいが、僕のココロには、ずっと雨の音が鳴り響いている、そんな感じです」 まあまあと男性は傘の柄を握り返し、雨からの防御を更に図りながら、 「そのうちね、きっと雨は上がるから」囁くみたいに言った。 もうすぐ着きます、と智和も応えた。 言葉通り、程なく、目的のかき氷屋さんに到着――したのだが、あっれー、こんなのアリ? と智和は、強い雨の音さえ蹴散らすほどの声を上げずにいなかった。 〈臨時休業〉。 店のドアには残酷なお知らせが貼られていた。 「今日だけってことですよね。またのチャンスはあるってことだ」 透かさず、男性は機転を利かせて、智和を慰める。 さすが年上の人だと智和は感じ入りながら、それでも申し訳なさは募る。 「うん、チャンスはある。明日にだって、また来れる。今度は一人でも来れる」 男性は頷きながら、独り言を洩らすように言うのだが、こめかみを押さえるしぐさ。 「あ、痛いですか? 頭痛、大丈夫ですか」 平気ですよ、と笑う男性の健気さには無理があると智和は察した。年下であろうが、智和とて、鈍感ではない。 そうさ、この自分はそれほどニブくはない、と気持を鼓舞すると、アッと閃いた。閃くと、どうして今この瞬間まで、そのことを思いつかなかったのかと恥じたい気持になった。 「スミマセン。僕の部屋に行きましょう」 「え?」 「僕の部屋です。僕の部屋にも、かき氷の器械があります」 「あー、そうですか。そうなんだ」 「長いこと、使っていないので忘れていたみたいなところがあります。でも、ちゃんとかき氷は出来ると思います。キーンの痛み、しっかりお招きしてくれる。うん、きっとそうだ」 「お言葉に甘えて、いいのかな」 「モッチロン。さあさあ、行きましょう。あ、その前に、買っておかなくちゃな」 コンビニで、氷の蜜を買った。それは払わせてもらうよ、と男性は言ったが、バイト代なんて入ったばかりですから、と智和は自分で払った。 安アパートだが、エアコンはある。 心地よい冷気が、6畳の部屋を涼しくさせゆくあいだ、智和は、長いこと使っていないかき氷器を押入れの隅から取り出した。 専用の製氷カップで作った氷を使わなくて済む仕様のものであるのが有り難い。冷凍室の氷が、すぐにも使える。 「私も、似たような部屋に住んでいたなぁ」 男性は、懐かしそうなまなざしを、部屋のあちこちに向ける。 「あ、テレビなんかもちゃんとあるんですね。いえ、この頃の若いヒトは、わざわざ必要ないって考えの人も多いって聞いたから」 「ボクは持ってます。でも、どうでしょう。壊れちゃったら、買い替えなんてするかなぁ」 そんな会話を交わしながらも、智和は、さっそくかき氷を拵え始めている。 手動式なので、ハンドルをぐるぐる回す。 ゴリゴリゴリ、何だか荒っぽくも聞こえる氷を掻く音が、頼もしい。 ゴリゴリゴリ、かき氷器の下に据えたガラスの器には、見る見る氷の小山が出来る。 どこから見ても、ふわふわには程遠い。それが、救いだ。 メロン味の蜜を、サーッと二つの器に掛けた。 ありがとう、と男性は丁寧に頭を下げて、スプーンで、氷をてっぺんから掬った。 ヒト掬い、フタ掬い。5回まで続けて、目を閉じる。スプーンを置いて、こめかみを押さえる。キーンの痛みを待っている。 沈黙が続く。 「来ません、か?」 堪えきれず、智和の方から訊いた。 「いや、来た」 「マジで?」 「ええ、来た来た、来ましたッ」 ありがとう、と男性はスッと両のこめかみあたりを撫でて、また丁寧に頭を下げた。 智和の方にも、来た。 「あ、来た来た、来た来たッ」 二人で、ハイタッチや握手をしたい気分だ。 「どうです。痛みは?」 「おかげさまで。もう、何ともないよ」 男性は晴れやかな微笑を浮かべ、もう一度、ありがとうと頷いた。 3杯のかき氷を男性にと、それから、智和は拵えた。 自分も2杯まで食べた。小山のかき氷なので、冷凍室の氷でも間に合った。 かき氷を食べるそのたび、キーンは男性の許に来てくれたみたいだ。 「痛みがなくなって、キモチよくって、なんだか、眠くなってきちゃった」 ますます嬉しげな男性に、どうぞ、お休みになってください、と智和はソファへの寝そべりなど勧めたが、いやそこまでは、と男性は固辞して、 「あ、雨も上がったようですね。いつの間にか」 サッシの窓へと目を遣った。 そのうちね、きっと雨は上がるから、と言って、激しい雨に濡れないように、あいあい傘をしてくれた男性のやさしさを、智和は思い返した。 「虹、なんて、出てるかな」 「もうすぐじゃないかな」 もう窓辺まで来て、二人して、視線を遠くへとやっている。 「あ、出た出た」 智和が指さす方向を、男性も見る。 虹の出を祝福するようなおおきな鳥も飛んでいる。 「何だろ、あの鳥」 智和の問いに、「不死鳥かな」と男性は笑ってこたえた。 「――虹も見たし、頭痛もしないし、そろそろおいとましようかな」 男性は、到頭その意思を示した。 智和はまだ、男性とお別れしたくなかった。 何だか、いろんなことを忌憚なく話せそうな思いが募って来る。 だが、男性は帰るつもりでいる。 大人の男性は、引き際帰り際の大切さを知っているのだ。 でも、しかし、と智和は思いやりもする。 「差し上げますよ。お持ち帰りください」 智和は、かき氷器を目で指した。 「そんな、そこまで甘えては」 「だって、このかき氷器で拵えたかき氷は、頭痛を治める特効薬だって、とりあえず証明されたわけですよね」 「それは、そうですが」 「お持ち帰りください。他のかき氷器でこしらえたものが、万事の薬になる保証はないでしょう。それは、先ほどおっしゃった、キーンの痛みの来るっていう行きつけのかき氷屋さんでも、そうかもしれない。ハヤマさんの――かき氷を食べる最中、ようやく男性は、ハヤマですと自分の名前を言った。あいあい傘の中での自己紹介でも名乗らなかった名前を。それは智和も同じであったが――そうですよ。ハヤマさんのお持ちのかき氷器だって、そうだったわけでしょう。だから、どうぞ。差し上げますよ」 「お言葉に甘えて、イイのかな」 智和は、もう、かき氷器を、収納棚から引っ張り出して来たおおきめのビニール袋に入れ込んだ。 そして、かまわないでしょというぐあい、スマートフォンのライン交換など無理なく望んだが、ごめんなさいと男性、ハヤマさんは、しかし、謝る。 修理に出している最中で、所持していない。まずはそちらの番号だけ、頂けないだろうかと言った。 走り書きのナンバーを記したメモ用紙を、智和は渡した。 駅までお見送りします、と智和は男性といっしょに歩く。 すっかり雨上がりの舗道である。 「あ、虹、まだ消えていない」 まなざしを上げる智和に、男性も倣う。 駅まで送って、サヨナラと手を振った。 数日が過ぎた。 智和は、男性――ハヤマさんからの電話を密やかにも待っている自分に気付いた。 1週間が過ぎても、連絡は無かった。 しかし、差し上げたかき氷器で、かき氷を拵えて、キーンの到来を待つハヤマさんを思うと、自然に微笑が込み上げてくる。 落とした財布は戻って来ないが、フラれたはずの女の子から、あの時はごめんなさいと電話があった。 一方的に絶交宣言をした友からも、軽率だった、すまんとの手紙が来た。どちらにも、智和は、まあまあイイってことよと寛大な態度で接した。 と言って、ホイホイと付き合いをさっそく復活させようともしない。 まあ、そこら辺は、そうそうお人よしの振りをしなくてもいいのだと胸を張りたい気がした。 何だか、僕にも良い運がやって来ている感じがします、と伝えたい相手は、ハヤマさんの他いない気がしたが、やはり、彼からの電話は無い。 そのうち、夏の大型台風もやって来た。 台風一過の晴天がしばらく続いたが、またもの大雨に見舞われる。 だが、智和は、うふふんとやり過ごせそうな気分である。 雨が止めば、雨上がり。雨が上がれば、上天気。 ハヤマさんとも、またどこかで、ふっと出会える気がする。 キーンのかき氷を、もう何杯となく、ハヤマさんは拵えただろうか。 智和は、雨上がりの虹を、彼方の空に探すのだった。
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