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「イリス」
とある晴れた日。
邸宅の門の前をほうきで掃除していたところ、私の主人であるレジーナ様がいらっしゃった。
「レジーナ様、どうかなさいましたか?」
私、イリス・ヘリオスは、ほうきを動かす手を止め、目の前の女性を見た。流れるような緩いウェーブのかかった金髪に、青空を映したかのような真っ青な瞳。いつ見てもきれいである。女神が天界から落ちてきたのかと思うほどに。
女神こと、レジーナ・ファイ様は、この国の名家であるファイ家の現当主である、レガリス・ファイ様の奥様だ。私たちのような使用人にも優しく接してくださる。毎度思うのだが、実はこの方、前世は女神なのだろうか。
つい先日も、他の貴族様との交流であるお茶会に出席なさったばかりだというのに、その疲れを感じさせない立ち居振る舞い。めっちゃ素敵。
レジーナ様は私に優しく微笑むと、
「大切な話があります。こちらにいらっしゃいな」
と手招きなさった。
「すぐに参ります」
私はほうきを近くにいた他のメイドに片付けるように頼み、レジーナ様の後を追った。
「あの、レジーナ様」
「なんですか?」
「その、大切な話というのは、いったい……?」
恐る恐る聞いてみると、レジーナ様は優しい笑顔で、
「大々的に話せるような話題ではありませんから、到着してからお話しますね」
と返してくださった。
人前で話せないような話題……。なんだろう。
赤いカーペットが敷かれた廊下を二人無言で歩き、私が通されたのは応接間。それも、勧められたのはお客様用の席。一介の使用人である私には、到底座れないような椅子だった。
なにかあったのだろうか?
通常では座れないような椅子を勧められ、私はなんとなく嫌な予感を感じた。勧められるままにイスに腰かけるが、どうにもソワソワして落ち着かない。
レジーナ様は近くにいたメイドに何か耳打ちすると、扉に手をかけ応接間から出て行った。
追いかけようと席を立った私は、
「ここで待っているように、とのことです」
と先ほどのメイドに言われたため、静かに待っている。すると、レジーナ様がレガリス様を連れて戻ってきた。
レガリス様は鮮やかな橙色の髪をしていて、それを肩の上までまっすぐに伸ばしている。黄金の瞳が内包する光はやわらかく、穏やかだ。
ファイ領というこの国の領地を治める方で、レジーナ様のように私たち使用人に優しくありながら、ファイ家の当主としての威厳も併せ持つ人物。
当主の鑑といえよう。
「やあ、イリス」
レガリス様が席に着きながら、さわやかな笑顔で挨拶をしてくださった。
「レガリス様」
あわあわと頭を下げると、お二人は互いに微笑みあって、私に向き直った。ああ、二人とも美形ですね。二人並ぶと私の目が焼けそう。
「あなたはもう出ていってよろしいですわ。どうもありがとう」
レジーナ様は先ほど耳打ちしたメイドが部屋から退出したことを確認すると、「では」と私に向き直った。
「イリス、先ほども伝えた通り、貴女には大切な話があります」
レジーナ様の真剣な言葉で、ふにゃけていた背筋がピンと伸びるのがわかった。メイド服の上で手を重ね、まっすぐにレジーナ様を見つめる。
「貴女は、雇った時から私たちに真摯に仕えてくれて、とてもうれしく思っています」
「いえ、そんな……。当然のことをしたまででございます」
「それを当然と思える謙虚さはすごく良い。君の取り柄だと思う。大切にしなさい」
褒めていただき舞い上がっている私に、お二人はまた言葉を紡いだ。
「そこで、あなたに一つ伝えなければならないことがあります。私たちファイ家が長年、獣人族であるマグヌス家と関係が悪かったのはご存じね。ですが、先日行われたお茶会で、少し関係が回復しました。そこで、マグヌス家の当主、ベスティア様から、一つ頼みごとをされました」
「頼み事、ですか」
「ああ、そうだ。そしてそれは、ファイ家から使用人を一人よこしてくれ、というものだった。」
「使用人を一人、ですか?」
「えぇ、そうです。ベスティア様によると、マグヌス家は今、使用人が足りていない状況らしいのです」
「そう。そこで、だ」
レガリス様は、先ほどと同じようなさわやかな笑顔で言い放った。
「イリス。君を、マグヌス家へ送ろうと思う」
「……へっ?」
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