番外編 蝸牛達の受難

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番外編 蝸牛達の受難

かくも、世の中は変わってしまったのか。 雨上がりには、我々蝸牛が此処彼処(ここかしこ)と闊歩し 紫陽花と並び梅雨時期の風物詩と謳われた時代から まだ僅かな時代(とき)しか経たぬというのに。 寄生虫により存在が脅かされた、その直ぐさまに かくも灼熱地獄が訪れようとは 誰も知る由など無かったであろう。 地球温暖化、と呼ばれるらしいこの現象は 我々蝸牛が次の憩いの森へと進む(いとま)を与えてすらくれぬのだ。 アスファルト、と呼ばれる、焼け付く黒くて平らな地面が、まるで海のように我々蝸牛の進む道を鎖す。 海、と云うのは、塩、という劇薬がこれでもかと溶け込んだ、げに恐ろしき途轍もなく巨大な水溜まりだそうな。 更に、我々蝸牛が生きるべき緑の地が、あまりにも減少しておるのだ。 生命(いのち)の源となるべき緑が無くなっているなど、なんということか。 恐ろしい怖ろしい。 嘆けども、この状況が好転する由も無い。 我々蝸牛は絶滅に瀕している。 なんと恐ろしき なんと哀しい事だ。 時折、まるでバケツをひっくり返したような激しい雨が降る。 地は湿るどころではなく、濁流と成り果てる。 雨粒に叩き落とされては、ひとたまりも無い。 灼熱地獄の次は濁流に呑まれ溺死では浮かばれぬ。 何れにしても由々しき事態である。 美しき日本の四季は 何処(いずこ)に消え果ててしまったのか。 再びあの物憂げで美しく儚く優しい季節が訪れるのを 心から待ち侘びて 我々蝸牛は殻に隠り、生き延びようと必死なのである。 しかし果たして、これは、我々蝸牛だけの受難なのであろうか。 我々蝸牛とて、この地球(ほし)の一部に過ぎぬ。 この惨状をまるで、この地球(ほし)そのものの受難のように感じながら 我々蝸牛は、生き延びようとしているのだ。 今、この瞬間(とき)も。 いつの日か、また 美しき大地に戻ることを 心底から祈り、願わんことを。
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