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髪を放されると受け身をとれず床に顔をぶつける。ヴィレンスはどこまでも雑に物みたいに私を扱う。
「ヴィレンス。これで良いんだよな。これで借金がチャラになるって約束」
「えぇ、結構です」
「なっ……」
イアラの声が途切れる。
イアラの方を向くと、胸の中央にはナイフが突き刺さっていた。
「異種族に興味はあるのですが、もう既に好偽族のデータは取り終えていまして」
「なにしやが……」
ヴィレンスが胸のナイフを引き抜くと、無抵抗なイアラは首元を切りつけられる。首の中央の辺りまで刃が進むとそこでヴィレンスの手が止まった。
既にイアラは喋ることもできず、その場に倒れ込む。首元から溢れる血飛沫が私の視界を赤に染める。
イアラはそのまま動かなくなってしまった、糸が切れた人形のように。裏切られたとはいえ、かつて愛していた男が目の前で殺された。
「いやっ……。イアラ……イアラ……!!」
「まったく汚らしい種族。生き方がずる賢いと、血までも不味い」
鮮血を浴びたイアラは明らかに嫌悪を表していた。殺したことに対して何も思っていない、当たり前な態度で血を拭き取っている。
「耐久性がないとテストにもなりませんね。まったく、価値のない種族です」
「きっ、貴様……!!」
「まだ起きているとは。少なくともイアラ君に頼んで僕の血を注入されたはずなのに。山耳族には期待できそうです」
ヴィレンスは不意に私を抱きしめた。彼の恐ろしく高い体温、微かな鼓動はまるで知らない種族のよう。
ヴィレンスは私の顔を一目見ると、期待に満ちた眼差しを向けてくる。そして、彼の口が大きく開かれる。犬歯の位置にある長く鋭い牙は私の首筋を突き刺す。
「痛っ……!」
音を立てて皮膚が貫かれていくと牙は侵入する。すると今度は体内に何かが注入される。おそらく、ヴィレンスの血液だ。
気持ちが悪い。自分の血と、ヴィレンスの血が混ざり合っていることが感覚的に分かる。次々に侵食されると、体は蝕まれ私の意志では一切動かせなくなってしまう。そして、体温が呼応するかのように高くなっていく。
動けない。またしても。何もできない自分に対して怒りが沸く。
同時にイアラという大事な存在を失ってしまった悲しみが雨のように降り注ぐ。ぐちゃぐちゃに混ざり合う感情が目前の現実に靄をかける。
無抵抗に大粒の涙が零れ落ちる。叫びたいのに、嗚咽すらも出てこない。
短い時間だが感覚的にはとても長い。注入し終えたのか、ようやく首筋から牙が引き抜かれる。
首筋に開いてしまった深い穴の痛みと、焼けるような体内の苦しみ。さっきまでの麻痺とは比べられないほどに効いてしまっている。
「では、参りましょうか」
目が廻る。感情が巡る。そして何もまとまらない思考回路。この短時間で目まぐるしく状況が変化している。
こんなことは体験したことがない。私にはどう判断することもできない。
「イアラ……」
虚ろな視界、残酷にも動かなくなったイアラの死体と目が合う。
次第に呼吸すらも忘れていき、やがて目の前は真っ暗になる。
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