永遠(とわ)の蛍

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 被災して仙台を離れ、大阪へ来て永遠は育った。多くの財産を失った両親は、随分と苦労したようだ。それでも蛍がいる仏壇に、手を合わせない日はなかった。  津波があったあの夜……蛍が行方知れずになって、星を見上げるなんて、そんな余裕はなかった。けれど、見た人の話では生きる希望になるくらい、とても綺麗だったそうなの。  ふうん、そうなんだ。  永遠は動揺を隠し、当たり障りのない返事を返す。  その日、永遠を生んだ母は病院に入院していた。長女の蛍を探しに行けなかった母は、どんな形でも良いから当時の様子が知りたいのだろう。  それでいつなの、お母さん。  来月の……三月一一日。  そっか、蛍の命日だもんね。  永遠の生と蛍の死は、いつも隣り合わせだった。しんみりとして、永遠は三人分の皿しかないテーブルを眺めた。
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