一章 偽りの聖女

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 それから今日に至るまでの日々をほとんど覚えていない。ジルベールはすぐにこの提案を手紙にしたため、王都へ送った。王もこの提案を快諾したようだった。 数日前にジルベールはロゼリアにブリクスト王国へ向かう日取りが決まったと伝えてきた。  そして今朝身を清めた後、修道服を身に纏い、髪を隠すように頭を白のウィンプルで覆った後、身の回りの最低限の物だけを鞄に詰め込んで、馬車に乗り込んだ。父の命令があったのか、誰一人ロゼリアを見送る者はいなかった。 「まだ迎えは来ないのかしら」  ロゼリアはぼうっと森を見つめながら呟いた。今のところ森は静かだが、いつ魔物が姿を現すかわからない。 ———ブリクスト王国へ行く前に魔物に襲われましたなんて、笑い話にもならないわ  魔物に見つかる前に早く迎えが来ないかとロゼリアが気を揉んでいると、ふと、森の奥で動く影を見た気がした。ぞくりとしてロゼリアは目を凝らして森を見つめる。  東から吹く風に木々が揺らめいているが、しかし先程の影は枝が揺れ動くものとは違う動きをしていた。 「キキ―ッ」  突如として耳を(つんざ)く鳴き声が聞こえてきた。と同時に枝が不審な揺れ方をする。 ―――もしかして、魔物…? ロゼリアは背中を壁に押し当てた。どくどくと心臓が脈打つ。 ————お願いだから早く迎えに来てよ  どこから迎えが来るのか分からないが、ロゼリアは無意識に空を見上げた。空を覆う暗雲はいよいよ黒さを増し、遠くの方で稲光が見えた。 ———雨だって降りそうじゃない。びしょ濡れで待っているのは嫌よ  だんだんと腹が立ってきたロゼリアが森に目を戻した時、木々の間からじっとこちらを見つめる影に気が付いた。影は徐々にこちらに向かってくる。   ロゼリアはあまりの恐怖に足が動かなくなり、影が近づいてくるのをただ見つめるばかりだった。いつの間にかそれはほんの数メートル先まで来ていた。もうくっきりと姿がわかる。熊に似た姿のそれはしかし、熊の倍以上の大きさがあった。   瞳は赤く燃え、手足には長く鋭い爪が生えている。めくれ上がった唇の間から、鋭利な牙が見えた。
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