一章 偽りの聖女

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「っ」 ———どうすればいい…?   ロゼリアの心臓は今にも爆発してしまいそうな程速く脈打っている。浅く口で息をしながら、必死で頭を巡らせた。 ———走って逃げる?でもすぐ追いつかれてしまうわ   ロゼリアは熊の魔物に注意を向けながら、手探りで鞄の中を探った。すると指先に硬いものが触れる。それは外傷に効く液体の薬を入れた小瓶だった。ロゼリアは旅立つ前に向こうの国に人間用の薬が用意されているのか心配で、よく使いそうなものを幾つか見繕って鞄に詰めてきていた。   今手に持っている物はその一つだ。この薬はよく効くことには効くが、臭いがすさまじかった。つんっと鼻を突くような酸味のある臭いに、えぐみを思わせる臭いがまとわりついている。人の鼻でもきついのに、人より嗅覚が発達していると言われている魔物には、さぞかし強烈だろう。   ロゼリアはその瓶を鞄から取り出し、頭を覆っていたウィンプルを取り払った。その途端、絹のような光沢のある滑らかな黒髪が、背中まですべり落ちた。ロゼリアはその髪を紐で無造作にしばると、ウィンプルで口と鼻を覆う。そして持っていたハンカチに薬を垂らした。 「うっ」   布で覆っていても鼻孔にその刺激臭が入り込んでくる。ロゼリアはできるだけそれを嗅がないようにしながら、薬を垂らしたハンカチを手の内で丸めた。   ロゼリアは手中のハンカチを握りしめながら、魔物を睨みつける。魔物はしばしロゼリアを用心深く窺っていたが、突然地を蹴り、猛然とこちらにむかって四つ脚で駆けてきた。ロゼリアは魔物が近づいてくるのをじっと待った。頬を冷や汗が伝う。   魔物があともう少しの所まで来た時、ロゼリアは魔物の鼻めがけて丸めたハンカチを(ほう)った。ハンカチは少しだけ広がり、魔物の額に当たる。途端に魔物は動きを止めた。苦しそうに鼻を動かしている。 ———今のうちに  ロゼリアは壁沿いに走り出した。 ———もう迎えなんて待っていられないわ
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