一章 偽りの聖女

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一章 偽りの聖女

 馬車の中からちらりと空を見上げると、灰色の分厚い雲が立ち込めていた。もうすぐ一雨くるだろう。  ロゼリアは空を見上げたまま嘆息した。 ———天も快く見送ってはくれないのね  あとどのくらいで、『昏森(くらもり)の門』に着くのだろうか。ロゼリアはこれから待ち受ける未来を前に、様々な感情が入り乱れていた。もう一度ため息をつき、姿勢を正す。これから自分は聖女として振舞わなければいけない。もしも偽りの聖女と露呈してしまえば、この身に何が起こるか、想像するだけで身震いする。  ロゼリアは幾度か深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。それをはかったかのように、馬車は動きを止めた。御者が車体の扉をコツコツとノックをする。ロゼリアは自分の隣に置いていた小さな旅行用の鞄を掴み、扉を開けた。  馬車から降りると、数メートル先に鈍く光る黒鉄(くろがね)の扉が見える。その両脇に、鋭い目で警戒する門兵が二人立っていた。  ロゼリアは改めて御者の正面に立ち、頭を下げた。御者は黒く高さのある帽子を目深(まぶか)に被っており、その表情を(うかが)い知ることはできない。 「ここまで連れて来て下さり、ありがとうございました」  ロゼリアが礼を述べると御者は帽子をとり、目礼をした。五十代半ばに見える口元に黒い髭をたくわえた御者の男は、表情こそ動かさなかったが、その目は哀れみを帯びていた。 「どうぞご無事で」  御者の告げた一言で、不覚にもロゼリアは泣きそうになった。 ———初めて身を案じてもらったわ  ここまで誰もロゼリアの心配をしてくれる者はいなかった。ロゼは目を(しばたた)かせ、流れでそうになる涙を押し込める。 「ありがとうございます」  ロゼリアはもう一度頭を下げ、踵を返した。そしてもう振り返ることなく、『昏森の門』へと近づく。ロゼリアが門へと近づくと、腰からサーベルを下げた門兵の一人がロゼリアに近寄った。ロゼリアは立ち止まり、首にかけていた楕円形の金のペンダントを持ち上げる。  それは王家から認められた、聖女の証だった。ペンダントには王家の紋章である冠を戴いた双頭の鷲と、その下には名前が刻印されている。門兵はそれを見止め、もう一人の門兵に頷いて合図をした。もう一方の門兵も頷き返し、それから黒鉄の扉に手をおく。門兵は口の中で何事かを呟くと、扉はゆっくりと開き始めた。  ロゼリアは胸に手を当て、心を静めるように深呼吸をした。これからこの扉の外へと出ていかなければいけない。 扉の外は鬱屈とした森が広がっており、そこに足を踏み入れる者はほとんどいない。なぜならそこには恐ろしい魔物達が巣食っているからだ。昼でも陽の差さぬ暗い森には、不気味な姿をしている魔物達が蠢いている。ロゼリアは今からそこへ向かわなければいけない。 扉は完全に開き切った。ロゼリアは意を決して歩き出した。門兵たちがこちらを監視している中、ロゼリアは前だけを見つめて進んだ。ロゼリアが門から出るとすぐに扉が閉じ始める。扉が閉まっていくのを見つめながら、ロゼリアは全てから見放されたような気がした。 ———ここで待っていれば迎えが来るのよね  ロゼリアは領地を囲う白い壁に寄り、ぼんやりと森を見つめながらこれまでのことを思い返した。
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