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■□ (戸田健一.side)
店舗脇に停めていた軽バンに乗り込んでようやく肩から力を抜くと、実家から持って来た木箱を助手席のシートにそっと置いた。
エンジンをかけて車を発進させる。道路に出てしばらく走行したところで、俺は無意識のうちに笑みを浮かべて声を漏らした。
「ふぅ…バレずに持ち出せて良かった」
「残念。オレにはバレてるニャン」
俺の独り言に対して後部座席から明るい声が返ってきた。ぎょっとして振り返りそうになったが、すんでのところで首の動きを止めてバックミラーで後方を確認する。後部座席に、黒スーツ姿の青年が手足を組んで座っていた。
どうして俺の車に彼が乗っているんだ? それにさっきからなんで猫語を喋っているんだ…?
頭が混乱状態になりながらも事故を起こさないよう運転に集中する。
「コンビニにいた時、この車にお兄さんが乗るのを見たニャン」
青年は無邪気な笑顔で言った。改めて見ると、今どきの若いアイドルグループにいそうな中性的で綺麗な顔立ちをしている。
「お兄さん。その“木箱の呪物”を誰から貰ったニャン?」
「なっ…」
今、呪物って言ったよな? なぜ知っているんだ…。
「だ、誰って…」
「“赤髪の男”から貰ったニャ?」
「っ…」
「お兄さんはその呪物で、自分の奥さんを呪い殺そうとしている。間違ってないニャ?」
俺は冷や汗をかく。すると後ろからくぐもったバイブレーションが響いた。彼のスマホが鳴っているようだが、彼は無視したまま確認しようとしない。
前方に視線を戻すと、道路沿いに薬局の案内看板が立っているのが見えた。薬局の駐車場に車を停めて、ようやく後ろを振り向く。
青年は変わらず笑顔を浮かべているが、真っ直ぐこちらを射抜く視線には底冷えする怖さがあった。情けないがびびって目を逸らす。
「…この木箱が呪物だって、どうしてわかったんだ?」
「オレには“呪物の匂い”がわかるニャン。お兄さんとその木箱からプンプン匂ってるニャン」
…呪物の、匂い?
なんだそれは…彼は一体何者なんだ。
「そんなことよりもお兄さん、オレと取り引きをしようニャン」
青年がにっこり笑う。動揺が顔に出るのを抑えることができない。
「大人しくその木箱をオレに渡してくれるなら、お兄さんの悪事を両親と奥さんに黙っててあげるニャン」
両親–––…特に母親には、妻を呪っていたことをバラされたくはない。母親は妻と仲が良く、俺たちがこのまま離婚してしまわないか誰よりも気に病んでいた。俺がやったことを知ったら、母親はショックどころじゃないだろう。
そこで不意にハッとする。
俺は何故、こんな手を使ってまでして妻を殺したいと思っているんだ?
確かに今は夫婦関係に亀裂が入っている。ここ数ヶ月、口を利いてなければ目すら合わせていない。
妻との仲は冷え切っていた。
だからといって……こんな、こんなことまでして妻を呪い殺したいという感情があったか?あるわけないだろ。俺は本気で妻を嫌いになったわけじゃない。
そうだ、これが俺の本当の気持ちだ–––。
「…お、俺は…この呪物を使用してしまった…いまさら妻への呪いを解くことはできない…なんてことをしてしまったんだ俺は…っ!」
後悔が押し寄せる。
俺は俯き、頭を抱えた。
「できるニャン」
青年があっさりと言った。
俺は思わず「へ?」と気の抜けた声を漏らして顔を上げる。
「オレは『呪物の効力をなくす力』をもってるニャン。お兄さんが後悔しているなら、力になってやれるニャン」
青年はにこっと笑った。
俺は大きく目を見開く。
もう訳が分からない。彼の言うことを信じてしまっていいのか…。
目の前にいる彼は自信に満ちた顔で真っ直ぐ俺を見つめてくる。
心が動く。
まだ間に合う。
この青年が呪いの力をどうにかしてくれるのなら…
今ここでこの呪物を……手放すしかない。
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