さんくん

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火星の渇いた大地を駆けまわる。縦横無尽に――俺は大宇宙の冒険者。 もちろん小説の話だ。 今どき珍しい手書きの原稿用紙を前にして、大宇宙の冒険者たる主人公の次の行動をどうすべきか、迷いに迷う。しかしどうにも答えが見いだせない。 私は袋小路に入り込んだのだ。 気分転換だ。現状を打破するためには気分転換が必要だ。 これは必要なことなのだ。自分で自分に言い訳しながら、書斎の外へと逃れ出た。 「安堂寺先生、どちらへ行かれるのです」 廊下で待ち伏せていた佐藤舞子が私の後を着いてくる。 佐藤舞子を廊下に立たせておいたつもりはない。彼女にはきちんと待機用の部屋をあてがっている。それでも大抵の場合、彼女らはなぜか廊下でそわそわとしながら右へ行っては回れ右して左へ行き、また回れ右しては逆へ行く。きっと編集者とはそうした習性を持った生き物なのだろう。 「先生、どちらへ」 「いや、どこというほどでもないのだが、ちょっと気分を変えに」 「お言葉ですが、もう時間がありません。あと一時間以内に原稿をいただかなければなりません」 佐藤舞子は出版大手A社の編集者だ。前任の鈴木吾郎から佐藤舞子に担当が代わって三ヶ月。佐藤舞子はまだ新人だ。 「前にも言ったと思うのだが、私を先生と呼ぶのはやめてくれんかね」 学校の教師でもないのに先生と呼ばれて悦に入っているような輩にはろくな者がいない。少なくとも私が知る範囲では。 だから佐藤舞子の前任の編集者だった鈴木吾郎にも、その前の編集者だった松田某にも、私は私のことを先生などとは決して呼ばせなかった。
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