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友人:林くんの災難③
玄関のチャイム音に、口から心臓が飛び出そうになった。
こんな夜更けにいったい誰が何の用で訊ねてくるというのか。
ベッドの中でじっとしていると、もう一度チャイム音が鳴った。
いよいよ観念して上半身を起こす。
正直、怖い。
怖いが、確かめないと朝まで眠れない気がする。
足音を立てないように暗い廊下を進む。
そのまま玄関まで行き、扉にはめ込まれた小さな防犯レンズに顔を近づけた。
するとそこには、
「──朔乃?」
声を上げてとっさに玄関ドアを開ける。そこにいたのは数時間前に会ったばかりの友人だった。
「夜中に悪いな」
その手には木製バットが握られている。
……いや、なんで?
「お邪魔するよ」
足元で声がしたかと思うと、するりと軽やかな動きで黒い塊が家の中へと入っていった。
犬、もとい葉羅さんだった。
「あのっ、うちのアパートはペット禁止でっ」
言いかけて口をつぐむ。
お兄さんはペットじゃないからいいのか?いやでも犬だし。
そんな風に混乱している間に、朔乃までさっさと家に上がり込んできた。
「電気ってどこだ?あ、ここか」
ぱちんと玄関先のスイッチを探り当てた音がした。白い蛍光色が目にまぶしい。
「何なんだ……っていうか、なんでバットなんか」
「本当は金属のやつにしたかったんだけど。兄貴にやめとけって言われて」
だから木製にした、と言わんばかりに朔乃がバットを肩にかつぐ。
「月もお前のこと心配して付いて来たいって言ってたけど。夜だし危ないから家に置いてきた」
問題はそこじゃないし弟は家に置いてきて正解だろ。
夜分にバット持った男とデカイ犬の組み合わせなんて絵面がヤバすぎる。
来る途中よく職質されなかったなとしか言いようがない。
そんな台詞をどうにか飲み込んで部屋に戻ると、葉羅さんが鼻先をあちこちに向けて首をひねっていた。
「よく分からんな。年代ものの建物は匂いが入り混じってる」
電気を点けた部屋で改めて天井を仰ぐと、やはりそこには黒い手形のようなものがひとつ。
俺の視線を追って見上げた朔乃が、力士の手形だっけ、ああいうのって飲食店にあったりするよな、と一ミリも面白くない冗談を飛ばしてきたのでスルーした。
「お前が来る直前にアレ見つけてマジで死ぬかと思った」
「なんか顔色悪いと思ったらそういうことか」
「ところで林くん、足音っていうのは」
葉羅さんが言いかけたときだった。
……タ、パタパタパタ………。
かすかな音がして、とっさに誰もが黙り込む。
やがて静かになったかと思えば、またしばらくしてパタパタパタ。
そんな音が断続的に上から聞こえてきた。
「お前これをネズミだと思ってたわけ?」
からかうような口調とともに朔乃が意地の悪い視線を投げかけてくる。
「だって屋根裏なんだからネズミかなんかだと思うだろ」
「普通はそうだよな」
俺の反論にうなずいた葉羅さんが、ふいに顔を動かした。
唯一の収納場所である押し入れを睨んでいる。
「朔乃」
「はいよ」
葉羅さんの短い言葉に、朔乃が速やかに動いて押し入れを開け放つ。
ちょっとそこは家主である俺にひと声かけるとかさあ!
まあ実際ほぼ何も入れてないからいいけど!
押し入れの内部、上下に分かれた上段部分に葉羅さんが飛び込み、狭い空間内の天井を見上げる。何をするかと見守っていれば、葉羅さんが鼻先で押し上げると天井板がそのまま持ち上がった。
「げっ」
思わず呻き声を上げてしまったが、古いアパートはそうした構造を持つところがあると後に知る(点検口ってやつらしい)。
生じた隙間から、銀色のアルミに包まれた配管ダクトがちらりと見えた。
「朔乃、腕を貸してくれ。たぶんすぐ近くにいる」
いるって何が?
朔乃がためらわずに隙間から腕をつっこむ。そのまま探り当てるように腕をごそごそと動かしていたかと思うと、一瞬だけ動きを止めた。
「ど、どうした」
ひっくり返った俺の言葉を背中で受け止めた朔乃が何やら引っ張り出す。
「なぁんだ、お前だったのか」
まるで旧知の友でも見つけたかのような。
笑い混じりの砕けた物言いだった。
「足音と手形の正体、コイツだな」
俺の眼前につきだされたのは人形だった。
若干ホコリにまみれた、人間を模した姿のソフトビニール人形。
くりっとした眼が埋め込まれていて、髪の毛があり服を着ている。
それこそ小学校に上がる前の子供が遊び相手として小脇に抱えているようなサイズの。
きっと昼間なら、その姿を見てもどうということはなかった。
そう、昼間ならば。そして直前まで奇妙な現象が立て続けに起きていなければ。
笑顔をはりつけた人形を前にして、真夜中に俺の渾身の叫びが響き渡った。
「イヤーーーーーーーッ!!!」
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