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黒い雨
その日は。いや、その日も、と言った方が正確か。
とにかく、黒い雨がしとしとと降る暗くて不気味な夜だった。
「ごめんください。傘を一本いただけないでしょうか」
ミツキの家にやって来たのは一人の怪しい男。中肉中背の体躯を袖の長い青コートですっぽりと包み、フードの下から覗く双眸はギラリと光っている。形の良い鼻や口がただのおまけに感じられる程度には、鋭く存在感のある目だ。
「自前の傘が折れてしまって。近くに雨を凌げる場所もなく」
こんな時間、こんな辺鄙な森の奥で、一体何をしていたというのか。しかも予備の傘も持たず。
ミツキは男を警戒した。男は視線を素早くミツキの身体の上で滑らせた後、スッとそれを下に落とした。「タクトと申します、どうか」と男は呟いた。その声色から、どうやら本当に困っているらしいとミツキは判断する。
それはそうだ。傘が無いというのが事実なら、このご時世大問題だ。
体格はミツキの方が圧倒的に屈強。例えばタクトと名乗るこの男が途方に暮れた旅人を装う強盗だったとしても、容易く返り討ちにできるだろう。そもそも、この家に狙われるようなものは一つも置いていない。
「もちろん構いませんけど……こんな時間だし、泊まっていかれますか?」
「い、いいんですか?」
「汚い家ですが、それでもよければ」
「ありがとうございます。えっと」
「ミツキです。さ、中へ」
ミツキはお人好しな自分に呆れながらもタクトを招き入れ、居間へと先導した。チラと後ろを振り返ると、彼は妙にそわそわした態度ながら、物珍しそうな表情で何もない廊下や天井を眺めている。変わった男だな、とミツキは思った。
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