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「少年探偵団」シリーズ、戦後の光文社独占の秘密
戦後、講談社は占領軍による財閥解体を予想し新たに光文社を設立。一部の社員は光文社へ異動した。
元講談社出版局児童課課長だった神吉晴夫が光文社の出版局長に就任。
講談社の経験を活かし「少年痛快文庫」という少年向けの冒険時代小説のシリーズを企画した。
神吉が注目したのが、乱歩の「少年探偵団」シリーズであった。
神吉は講談社の児童書の責任者であった中里辰男と相談し、戦前の「少年探偵団」シリーズの版権を譲渡された。
1947年春頃。神吉は乱歩邸を訪問し、「少年探偵団」シリーズ出版の承諾を得ようとした。中里も同行するはずが何か別の用事が入ったため、まずはひとりで訪問することとなった。
ところが玄関で光文社の神吉と名乗ってからずっと待ちぼうけを食い、一時間半が過ぎたのに誰も来ない。
そこへ中里が遅れて到着。講談社の名前を出すと、すぐに乱歩が出てきて中里に挨拶した。
神吉は乱歩の豹変に頭にきたがじっと堪えた。
乱歩は「少年探偵団」シリーズの光文社からの刊行を快諾した。
『怪人二十面相』は光文社の「少年痛快文庫」より1947年六月に刊行された。七月に『少年探偵団』、翌1948年四月に『妖怪博士』と続き、どれも爆発的な売り上げを記録した。
↓光文社「少年」(1950年一月号)の「少年痛快文庫」(雑誌著作権消滅)
戦前戦後と人気作家、脚本家として活躍した大林清の野球小説に、山川惣治の絵物語、横溝正史の児童向けミステリー。
更に『のらくろ』シリーズの田川水泡の弟子で『あんみつ姫』の倉金章介の漫画、後輩の弟子だった長谷川町子の『サザエさん』など、タイトルに納得してしまう目のくらむような内容である。
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