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光文社「少年探偵 江戸川乱歩全集」と少年誌の変貌
なお第二十三巻『鉄人Q』刊行以降に「少年」に連載された『電人M』『妖星人R』『超人ニコラ』は連載のまま、ついに単行本化されなかった。
「少年」での乱歩最後の連載は1962(昭和三十七)年一月から十二月まで連載された『超人ニコラ』であった。
すでに少年雑誌は様変わりしていた。乱歩が連載を開始した頃は、『徳川家康』で知られる山岡荘八や夏目漱石門下であり、芥川龍之介の親友だった久米正雄、「天皇の世紀」で知られる大佛次郎など文学作家の連載小説がひしめいていた。
だが1954(昭和二十九)年には、小松崎茂らによる絵物語やストーリー漫画が主流となっている。もはや文学作家の名前は見当たらない。
1960年代に入ると少年雑誌は週刊誌が主流となり、月刊誌は漫画一辺倒となった。
連載小説の孤城を守っていた江戸川乱歩も、パーキンソン病の悪化で『超人ニコラ』では口述筆記を余儀なくされた。
1961(昭和三十六)年、光文社では新装版「江戸川乱歩全集」を企画し、『電人M』『妖星人R』『超人ニコラ』を新しい全集で各行すると宣伝していたが、売り上げが伸びず、五巻を出したところで中絶している。
ポプラ社編集部にいた秋山憲司は、「少年探偵団」シリーズをポプラ社から出したいと考え、乱歩に持ちかけた。
乱歩は光文社への義理立てから、まず光文社の社長になっていた神吉晴夫に連絡を入れた。
「当分、乱歩先生の本の予定はありません。ポプラ社さんで出したいというなら喜んで相談に応じます」
神吉の返事だった。
「売れなければ来ません」
神吉の言葉通り、光文社は長く蜜月関係にあった乱歩の「少年探偵団」シリーズから撤退し、ついに新装版の全集が完結することはなかった。
江戸川乱歩の「少年探偵 江戸川乱歩全集」は光文社からポプラ社へ引き継がれていった。
1964年八月、ポプラ社版「少年探偵 江戸川乱歩全集」が装いも新たに刊行開始。第一巻は『怪人二十面相』で、その年のうちに第十五巻『塔上の奇術師』まで全十五巻が刊行された。
表紙、挿絵を見ると、光文社では坊主刈りだった小林少年の姿も一変している。
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