第4章 爆睡のちパイモンとウリエルと、ワリエル  

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第4章 爆睡のちパイモンとウリエルと、ワリエル  

ぐおー、ぐおー  車内は、徳男の強大なイビキが響き渡っていた。  父はアクセルを吹かしながら、イライラを募らせた。 「何だコイツのイビキ。うるさすぎるわ。白い粉が、効きすぎだったんじゃないか?」 「確かに白い粉は効いたと思うけど……。お父さんはご存じなかったのね。あの肥満体だから、いつもこんな感じなのよ」  徳男は、いわゆるヒキニートの王道、昼間寝て夜起きるという生活をしていた。  したがって、父が寝ている最中は起きて格闘ゲームをやる傍ら、フィギュア遊びをするが、父が仕事で外出中は、大イビキをかいて寝ているのだ。 「母さんは、よくこんなの我慢できたな」 「……慣れました」  澄子は、少し寂しそうにうつ向いてボソッと言った。 「そうか」  それだけ言うと、二人の会話は途切れた。  博司は、アクセルをさらに強く踏み込んだ。 そしてゆっくりと速度を落とし、河口湖インターチェンジで、高速道路を降りた。 「こっちだ」    ぐおー、ぐおー  相変わらず、徳男は高いびきだった。 「お父さん、いよいよね。いよいよ、徳ちゃんとお別れなのね」  母澄子は、少し涙目になりながら、父の横顔を覗き込んだ。 「母さん、まだそんなことを言っているのか? 熟慮した結果、これしかないという結論じゃないか。今更引き返すことはできんよ」 「そ、そうだけど。もっと早く手を打っていれば、違った結果だってあったかもって」  澄子はうつ向いて、自分の両手指を絡ませた。 「10年。10年もあって、できなかったことだ。早く手を打つことだってできなかっただろう? それに、あいつにその気があれば、何かできたはずだ。それが、あいつにはなかったんだ」  今さら、過去をどうこう言ったところで、どうにもならぬ問題だと分かっていた。  ただ、最悪の結末を選択せざるを得なくなったことには、自責の念を抱かずにはいられないのだ。 「あそこだ、あのコンビニ」  そこは、富士山が遠くに見えるコンビニだった。時刻は、15時を過ぎていた。  そのコンビニに、ダークブルーの車体に、窓ガラスが全部黒くスモークが張られたワゴン車が停まっていた。 「あ、あれだ。いよいよだぞ、母さん」  アルファードが、そのワゴンの隣に停まった。  バタン  博司は、顔をこわばらせながら、ワゴン車のドアをノックした。  窓ガラスがスゥーと開いた。 「ああ、早かったですね。えっと、お名前が……。ああ、安納さん。どうも」  サングラスに口髭とアゴ髭を蓄えたロン毛の男が顔を見せた。 「えっと、富士更生院のパイモンといいます。これ、名刺」 パイモンは、いかにも、怪しい感じの名刺を差し出してきた。 「え、ええ。東京の安納です。お待たせしてすみません」 「で、ブツは?」 「裏で寝てます」    いよっとばかりに、パイモンがワゴン車から降りてきた。襟元にはタトゥーがのぞく。  というか、両腕から何やら龍の絵がのぞいている。 「ちょっとお邪魔しますよッと」  パイモンが、スライドドアを開けて、徳男の全身を舐めるように眺めた。 「ほっ、ほう。こりゃなかなか良い具合に仕上がってますなあ。一刻も早く処分したいって言うの、分かりますわ」  まるで、不用品の買い取り業者の様な口ぶりだった。 「ほ、本当に徳男は、更生できるんでしょうね」  パイモンのあまりにも怪しい姿を見て、母は不安になったらしい。 「え? ああ、任せてくださいよ。ただ、もう会う事はないと思いますので、生まれ変わった姿は見えないと思いますよ」 「え? も、もう会えないんですか? ど、どうして?」  それは、母にとって初耳だった。  母澄子は、慌てて父親の顔を見た。母は、明らかに狼狽えていた。 「母さん、考えても見ろ。こうして、徳男を騙して更生施設に送り込むんだ。息子が、私たちのことを恨まぬはずがない。万一、更生できたとして、反省したとしたら、自ら会いに来るだろう。それまで、私たちは自分の身の安全を守るためにも、徳男とは縁を切らねばならんのだ」  母澄子は、内心、しまった、騙されたと思った。  だが、もう時すでに遅し。 「わ、分かりました。よろしくお願いします」  まさか、命まで取られることはないだろうと腹をくくり、母は渋々うなずいた。 「んじゃ、お預かりします。おーい、ウリエル、ワリエル。手を貸してくれ」 「うーい」  ワゴン車から、これまた屈強な感じのマッチョ二人が躍り出てきた。  両親二人は、息を飲んでその状況を見守った。 「こいつか、社会のお荷物ってのは」  ウリエルと呼ばれた男がそう呟いた。  博司は「うぐ」と声を押し殺した。確かに、我が家の産廃だが、他人から「社会のお荷物」と呼ばれるのは、複雑な気持ちがしたのだ。 「よく寝てやがるな。我々の白い粉、よく効くでしょう」  二人の作業を見守るパイモンが、ドヤ顔で言い放った。 「そ、そうですね。イビキが凄かったですが」  それまで、徳男に憎しみしかなかった博司が、少し不安な表情になった。  もしかしたら、本当にこのまま徳男が葬り去られるのではないかと。  徳男は、ウリエルとワリエルに担がれ、文字通り、ワゴン車に放り込まれた。 「よし、作業完了。んじゃ、金の振り込み実行お願いします」 「わ、分かった」  博司は、スマホを取り出し、指定された口座に振り込みを行った。  その画面を、パイモンに提示すると、パイモンはニヤリと笑みを浮かべた。 「300万円ね、確かに。ありあとらしたー!」  軽薄に頭を下げると、急いでワゴン車に乗り込んだ。 「んじゃ、更生院に無事届けますんで。帰り、お気をつけて」  満面の笑みをたたえたパイモンは、急いでワゴンを発進させた。  その後ろ姿を見守る両親は、ホッとしたのか、肩の力が抜けたのか。  まるで、精根尽き果てたかのような姿で、じっとワゴンの行方を目で追っていた。 「とうとう、いなくなっちゃったわね」 「ああ。これで、我が家のお荷物ともおさらばだ。明日からはもう、あいつの分の食費はいらない。年金も、保険料も払ってやる必要はないからな。300万は、高いかもしれないが、長い目で見たら必要な投資だ」 「え、ええ。お父さんの大事な退職金の一部ですもんね」  母は、動揺したのか陳腐な応答をした。  そして、ハンカチを取り出して涙をぬぐった。  妻の心情を感じ取った博司は、澄子の肩をぐいと引き寄せ、 「罪悪感を感じることはない。あのまま、子ども部屋オジサンとして、世の嘲笑を受けながら、無様な人生を送るより、少しでも更生して、世の中の為になった方がいいじゃないか」  そうやって慰めることが、博司にできる唯一の行動だった。 「そ、そうね。ごめんなさい、徳ちゃん。小さいころは、あんなに素直で可愛かったのに……」   自然と、澄子の眼から溢れる涙が止まらなくなった。 いつからだろう。 ―ママ、幼稚園の先生に褒められたよ! ―はい、これ。ママ、お誕生日おめでとう! ―ママ大好き! ぼく、大きくなったら、ママと結婚する!  幼かった徳男が、ママ、ママと抱き着いてきた時のことを、澄子は決して忘れた訳ではないのだ。 「う、うう……。徳ちゃん、ごめんなさい、ごめんね。バカな、ダメなママを許して……」  そう言わざるを得なかった。
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