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第25章 見せてあ・げ・る
明美は少しうつ向いて、目線をあちこちさせ、落ち着かない様子を見せた。
「それは……」
小さな声で、徳男に耳打ちをした。
「え! な、何で!?」
徳男は耳を疑った。その相手は、自分の過去と照らして、違和感のない物だったが、この若い巨乳美女が、なぜそのような人物を殺してほしいと言うのだろうか。
のっぺらぼーの顔というのは、ある意味で、無表情でいられて便利なのかもしれない。
その時の徳男の顔は、驚きと困惑に満ちていた。
「おかしいと思ったでしょ。私みたいに美人で若くて、カワイイ子が、殺したいほど憎んでいる相手がいるって。良いわ、私の恥ずかしいところ、見せてあげる」
徳男は、全身の血液が逆流するのを感じた。
「えっ、ええええっ! い、いいの? そんな、大事なところ」
恥ずかしいところと、勝手に大事なところに脳内変換するところが、徳男の妄想クオリティだった。
「は? 大事なところなんて、ひとことも言ってないわよ」
「え、そそそ、そうだね。ご、ごめん」
相変わらず挙動不審だった。
「ほんと、ヒキニートって常識が通じないから困るわ」
明美は、黒いシャツの長袖を着ている。
左前腕の袖を、グイと引っ張って見せた。
「え? これ、何?」
徳男は、その無数の切傷が示すことの意味が分からなかった。
「……あんた、ニートのくせに、『ためらい傷』のこと知らないのね」
ためらい傷―。
それは、自殺をするために、カミソリなどで手首を切る行為を指す。
しかし、その実は、誰かにこの傷の事を知ってほしいという意味であり、本当に自殺するつもりはないという説もある。
徳男は、明美から説明を受けた。
「そうなんだ……」
徳男は、それ以上、どう言って良いか分からなかった。
そういう時、徳男の様に女子と接したことがほとんどない童貞ニートに分かるはずがないのだ。
煮え切らない態度の徳男に、明美はため息を付きつつ、続けた。
「あんたも両親に見捨てらて、行き先もなくて、どうするつもりだったの? 死ぬつもりだったんじゃないの?」
「オ、オレは死ぬつもりなんて全くなかったよ。就職してパワハラに遭って、それから……」
黒タイツの男は、下を向いてモジモジした。
「くじけて、ニートになったって訳ね。ふーん、情けないわね。あはははは」
普通の男なら、この嘲笑に対して、激怒するところだが、この時の徳男に、そんな元気も勇気も残ってはいない。
「じ、自分だって」
思わず口が滑った。不味いことを言ったと思い、徳男はそれ以上言うのをやめた。
結局、人生に挫折した者同士が、罵り合ってどうなるのだろうか。
明美は、カチンと来たのか、徳男の真っ黒な顔を覗き込んだ。
むろん、のっぺらぼーだけに表情はない。もし顔があるならば、完全に目をそらしていただろう。
「自分だって、何よ?」
そう問い詰めようとした。
「じ、自分だって」
徳男は、10年間ほとんど働かせたことのない脳をフル回転させて、このピンチを乗り越えようと全力モードになった。
その時、明美の服装を見て、絶妙のアイデア?が閃いた。
「自分だって、真っ黒な服着て、オレと同じだなーって」
精いっぱい、精いっぱい。徳男が精いっぱい絞り出した末の、苦しい言い訳だった。
思わぬ変化球的な対応に、明美は呆気にとられた。
「は、はあ? あんた、全く脈絡のないこと言うのね。まあ、良いわ。どうせ、あなたも私も、似たようなもんだから」
ホッ
苦し紛れの言い訳が、功を奏したらしい。
「そ、そういうこと。あはははは」
徳男が愛想笑いをした。無表情ながら。
「もう良いわ。これで分かったでしょ。あの人のせいで、私は死んだ方がマシって思ったのよ。だから」
そう言い掛けて、明美は言葉を継げなかった。
「え? だから、何?」
むろん、女子の気持ちなど理解しようもない徳男は、急に黙ったのを不思議に思った。
それは、明美の右拳で、徳男の顔面にハードパンチを食らわせるのに十分な無配慮な言動だった。
ボカッ
「いて! 何すんだよ!」
「あんたさー。ホンッと、ヒキニート童貞だからって、女子の気持ち分からなすぎ!」
むろん、明美程度のパンチ力では、昼間の徳男にすらダメージを与えられない。
徳男は頬っぺたを押さえていた。
「そ、そういうものなんだね……ていうか、なんでちょくちょく殴るの?」
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